あんかけが書く

かきたいことをかきます。

ゲームについて思うこと 7 『視る』

 ゲームを楽しむ際に最も使う五感は「視覚」だと思っている。ゲームそのものはもちろん、ゲームにまつわる映像コンテンツは多い。ゲーム実況からアニメ化まで様々である。

 ぼく個人としては、実況プレイや配信(大会とか個人とか)をよく見る。自分よりもうまいプレイを求めて参考にさせてもらうこともあれば、プレイする人そのものが面白かったりする。

 

 少し前までは「ゲーム実況はグレーである」という考え方が大きかったが、今では競技性の高いもの、個人によってプレイが大きく変わるゲームは公式に許可を出している企業も多いようだ。

www18.atwiki.jp

 

 企業側がプレイ動画を許している理由に、「販促になる」「実際の楽しさを知ってもらいやすい」が考えられる。反対に、「見て満足してしまう」「重要なネタバレが広まってしまう」という問題点もある。

 この辺りはどちらの影響が大きいのかというのはわからない。この辺りはこの記事が詳しい。

automaton-media.com

 

 ぼくは実況プレイを見るときは、プレイ済みのタイトルを選んで見る。もしくは、Part1だけ見て買い、クリアした後に追いかけて見る。実況されたタイトルに手を出す可能性はゼロではないわけで、これからの楽しみがなくなってしまうと思うと、クリアより先に見るのをためらってしまう。また、プレイ済みであればゲームシステムはどうなっているのか、どんな操作が難しいのかがわかりやすい。

 

 実況プレイはゲーム、プレイヤー、視聴者がうまくバランスをとって面白くなると考えている。この考え方はEsports大会を面白くするために必要な要素でもあると思う。これから日本がEsports大会に本格的に力を入れるとなった際、日本のゲーム文化の1つとして参考にするべきかもしれない。

 

 ちなみに、ぼくも配信する側になってわかったのだが、ゲームという複雑な動作をしながら話すのは難しい。配信している人、すごい。

重量級でVIPを目指そう!(スマブラSP)

 先日、スマブラでここまで達成した。

 

 重量級と呼ばれるのはこの辺り。

smashlog.games

 リザードン君を完全に忘れていたが、代わりにロボットとリドリーの図体デカい組を入れてなんとか許してほしい。

 

 重量級として共通する項目は、

  • 体がデカい
  • 重い
  • 機動力は微妙(クッパ、ドンキーは速い)

 が中心。これらを基にVIPに行くコツやらを偉そうに書いてみる。自分は特にガノンを使っていたので、例として挙げるとガノンがよく出てくるかもしれないが、他のキャラでも当てはめて考えられると思う。

 

1.前に出よう

 何より相手に近づかなければ攻撃を当てられない。まずは前に歩き出す。

 ステージ端から飛び道具撒きたいマンでもない限り、相手側から近寄ってくれるが、距離を詰められすぎると相手の小技に対応できない。少し下がる余裕を持つためにも、自分から前に出るべきだ。

 この時に、ついでだからとダッシュ攻撃や突進技を振ってはいけない。そのまま反撃されて崖外まで運ばれてしまうかもしれないからだ。後隙の少ない技を反撃されないくらいの位置で振って相手を動かす必要がある。

 重量級が苦手なことの一つに、飛び道具があるが、ここは基本に忠実にシールドする、ジャンプで飛び越える等で当たらないようにする。ジャンプで飛び込む際は、相手に対空されないよう注意。

 また、ジャンプをするということは着地もしなければならないわけである。重量級は全体的に着地が苦手なため、どう降りるかは考えておくべきだと思う。

 

2.リーチを活かそう

 前に出て、技が当てられそうならこちらのターン。相手の様子を見つつ一発何かを入れてやりたい。

 体がデカいということは、手足も長い。つまり、剣キャラでもない限り一方的に攻撃できる間合いがあるはず。そこを見極める。

 距離の見方は人によって様々だが、ぼくは「キャラ〇体分」で考えるようにしている。クルールの横強なんかは1クルールのリーチ、ガノンの下強は2ガノンのリーチ。

 戦場でも終点でも、どのステージでも自分のキャラの大きさは変わらない。中心に振っていきたい技を意識した距離を取ると戦いやすい。ガノンは下強が振りやすく、程よい距離なら横必殺でガードを潰せたりできるため、下強の間合いの意識が大切となる。

 空中でも振れる技の考えはおおよそ同じ。重量級すべてに対して言えるが、空中技のどれかは使いやすいため、空中戦になった時に振る技は頭に入れておく。

3.連携をしよう

 いくら重量級の一撃が重いからと言っても、細かく当てるだけではあまりおいしくない。結局相手に小技からコンボに繋げられてしまうのが関の山だ。こちらもダメージを多く当てられる手段は持っておく。

 デデデやドンキーは投げから火力がとりやすいし、ガノンは横必殺からジャンケンで勝てば無限にダメージを入れられる。さらに基本に戻ればガオガエンの空上やドンキーの空上は範囲が広く、相手を上に飛ばす技。相手の様子を見つつ上手くお手玉できるとかなりおいしい。

 投げからのコンボはもちろん、こちらの振りやすい技から次は何ができるかを考えながらやると展開は良くなるはず。

 

4.できる反撃はしよう

 重量級特有の技の出の遅さ故に、反撃は取りづらいものがある。リンク、フォックスの空Nなんかはその代表だろう。発生した時点でしんどいので、上強や上スマを有効活用して対空していく。クッパの上スマなら甲羅部分が無敵であったりする。

 正直、見てから反撃できるようなものはあまりないため、地上なら少し引いて強攻撃、空中なら相手のジャンプを跳ね返すイメージで空前なり空後の技をぶつけることをして対応するしかない。

 技がぶつかったとしてもこちらは重量級。ダメージレースにはなんとか勝っているはず。ここは気持ちで戦う。

5.たまには全部忘れよう

 今までの話を無かったことにする。

 なぜなら重量級だから。

 

 空中ではこう、地上はこうしてここで掴み、とセオリーを作ってしまうと重量級のおもしろポイントは減ってしまう。たまにはスマッシュをぶっ放してみよう。DORYAAAAA。60%程度でも相手が面白いように飛んでいくスマッシュは重量級の特権である。使わなければ損である。

 おすすめはかなりの範囲と威力のあるガノンの上か横スマ、相手の攻撃を避け、さらにアーマー付きのクルールの下スマ。これらが本当につよい。行けそうだと思ったらワンチャンを狙っていこう。

 もちろん、相手の回避を見たり、飛び込みに対して置けるとつよい。こればかりは慣れと経験が必要。

 

 

 

 以上。

 割と当たり前のことかもしれないが、考えているのはこれくらいだと思う。

 

 それでは、楽しい重量級ライフを。

 

2019/05/20

追記

リザードンでもVIPいけました。フレドラを使おう。

ゲームについて思うこと 6 『ゲームで遊ぼう』

 自分は10代~40代で平均を取った場合、ビデオゲームの腕前は真ん中より上に来るだろうと自負している。世の中にビデオゲームはごまんとあるわけで、プレイしたことがないゲームもある。それでも、道端の適当な人を数人捕まえて何かしらのゲームで競ええば、上位にいられると思っている。

 自分に何が得意か、と問われれば多分「単調な作業かゲームです」と言う。実際、他に優れた点もないわけで、一番長いこと触っているものは余程でない限りそれなりにできるはずである。他の話で言うなら長距離走がどれだけ得意か、みたいなものだ。ある人が平均の身体能力を持ち、ジョギングが好きなら、多分その人は長距離走が得意なはずだ。

 

 で、ぼくがゲームを遊び始めて十何年、なんと「Esports」という言葉が日本にやってきた。『対戦ゲームも人と人との技術や熱意のぶつかり合いだ!』という考えの元、スポーツ競技と同類に扱おうというのだ。面白い試みである。ぼくとしては、ファミコン世代がちょっとだけ思い出して話題にしようとしたところを、本気でゲームしたいマン達がよいせよいせと担ぎ上げようとしているようなものだと考えている。

 ぼくは一応Esportsは広まってほしいという立場である。今まで多くの人が見向きもしなかったゲームの面白さだとか上手い人たちの努力だとかが日の目を浴びるいい機会だからだ。日本は発展途上であるが、どうなるかを応援しながら見守っていきたい。

 

 日本もEsportsが広まったらどうなるのだろう。部活が他のスポーツと同類になって、Esports甲子園だとかが開催されるのだろうか。それを地上波で流したりするのだろうか。少年少女スポーツクラブの如く、幼少から親にやらされたりするのだろうか。果ては胎教としてお腹にコントローラーを載せる親さんも出るのだろうか。

 

 行き過ぎた話は置いておこう。

 

 そのうち世の中が「Esportsというものがあり、ゲームが上手いとなんかすごいらしい」という、ぼんやりとした見方をしてしまうのが怖い。思い返せばゲームに全力を尽くす、ぼくみたいな人間は少数派なのだ。今や公式から1on1対戦の場をオンラインで提供されているスマブラも、元は大人数で遊ぶゲームのはずである。

 ぼくはゲームを遊びと捉えているタイプの人間で、どちらかと言えば勝敗よりは最中に起こるおもしろアクシデントやきもちい場面を重視する。勝ちたくないというわけではないが、楽しみたいという気持ちはある。

 もし、未来の、ひょっとしたら今の少年少女がゲームに対してストイックであることを何かに強制させられるのかもしれないと思うと少しつらい。何か、というのは何でもいい。それはゲームそのものかもしれないし、周りの人間かもしれないし、世の中かもしれない。例として、スマブラの戦闘力システムなんかはそうだろう。カジュアルマッチでもあればいいのだが自分の成績が数字として評価されてしまう。

 

 どうか、ゲームの世界の入り口に入ろうと思った人はまずゲームを楽しむことを知ってほしい。テトリスでひたすら積み上げて消す面白さを知るのもいいし、Splatoonで地面を塗って陣地が広がることに喜びを見出してもいい。なんなら、RPGで世界観にのめりこむのもいい。Esportsの競技性うんぬんより前に、ゲームで楽しむことだけは忘れてはいけないと思う。

 

 「ゲームで遊ぶ」ができない時代にならぬよう願うばかりである。

 

47つめのすきなもの『地図』

 ちょっと出かけて知らない駅を降りてみれば、大抵の出口に地図がある。目的の建物は近いのだが、「とりあえずこっち行っとけ」と矢印が出ているのはありがたい。ルートはいくらでも考えられるが、それ故に一歩目が踏み出せなくなりがちである。

 駅の地図でもとりわけすきなのは、地下鉄の駅から出ようとしたときにあるA1とかB4とか地上出口がどこにあるか描いてあるやつだ。地下という地上とはまた別の世界で歩き続けると、そこは目的の場所なのだ(当たり前のことではあるが)。ポケモンDPのなぞのばしょを彷徨い、たんけんセットを使うとはなのらくえんに出るような面白さがある。

 

 また、地図とひとくくりにしてもどの地をどう表したいかによって種類は異なる。ぼくが関東に移り住んでからよく見るようになったのは駅の構内図である。よく使う駅の構内図を見ると、案外知らない場所が多いのだ。

 例えば、大手町(東京メトロ)。地下鉄を使っていれば一度は乗り換えで使うと思う。

www.tokyometro.jp

 

  改めて見るとものすごい構造である。乗り換えは表示に沿って行けばいいのだが、それが無ければと思うと恐ろしい。1日に10人は遭難しそうである。

 

 地上にある駅も同様である。有名なのは新宿駅(JR)だろう。

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www.jreast.co.jp

 サイトの方では表示方が変わったが、この図もまた頭を悩ませる。ぼくが初めて新宿駅を彷徨った時の話だが、「新宿駅を出たと思ったら目の前に新宿駅があった」のだ。

 未だに信じられず、Google先生に聞いたところ、どうやら新宿南口の話であった。

goo.gl

 

 こうした建物の図はどれもすきである。映画の為にと入った大型ショッピングモールの案内図もお気に入りである。地元のアレと比べて飲食店が多いな、とか家電量販店ちっさ、とか思うのである。だからどうということはないのだが、ついやってしまう。

 

 いつでも場所についての情報が得られる地図は非常に便利であり、ストリートビューなんかは眺めているだけでちょっとした散歩気分にもなる。その分、新宿を歩き回って疲れた気もするのだが。

 

すきなものをすきだと言う話

 少し前に書いたが、自分はうつ病で長い休みをもらっていた。その間、何をしていたかといえばゲームである。うつ病と診断されてしばらくは何も手につかなかったが、改善されてからは楽しいことを楽しいと思えるようになった。

 そして今、自分は元の仕事派で働こうとしている。仕事辞めたい、と所構わず発していた頃よりはマシになったと思う。

 

 復帰する前に、自分が心血注いだのは「いかに自分がゲーム好きであるかを広めること」であった。上役にも大きな相談として大袈裟に話したし、同じ仕事をする人にもゲームに対する熱意を話し続けた。

 幸い、自分がゲーム史を勉強していたこともあり、どんなゲームの話にも対応できるような力があった。上役はゼビウスの時代で、同じ仕事をする方はとある会社のゲームに詳しかった。

 そんな話を続けると、いつしか自分の熱意は伝わるものである。「あんかけ君はゲームに熱中する度合いが人とは違う」と。もちろん、自分よりもマニアな人はごまんといるだろうが、自分の好きな具合を知ってもらえれば良いのである。

 

 結果、仕事とは関係ない完全にプライベートの話ですら受け入れて貰えるようになった。オタク気質により、ゲームの話題になると饒舌になることも要因の一つだろう。

 

 正直、ゲームなどという感心されないような(前時代的か?)趣味でも受け入れられるとは思ってもいなかった。せいぜい、「くだらない事に努力しやがって、仕事もそれくらい真面目にやれよ」と思われると思っていた。

 ところが、自分の本気具合は世代を越えて伝わった。非常に嬉しいことである。

 

 要するに。

 

 すきなものはすきである、と主張していくのは悪いことではないのかもしれない。