あんかけが書く

かきたいことをかきます。

最近のどうこう

 大都会に住み始めて半月ほど。めっきりツイート数も減り、死んでいるのではないかと思われそうである。まだまだなんのことはない、ただ忙しいだけなのだ。

 忙しいとまとめてしまえば簡単だがぼくの中には色々と思うところはある。「初めた頃の気持ちを忘れるべからず」とよく言われるならここに書いておくのも悪くないだろう。どうせ読み返すためのものだ。

 

 なんだかんだと都市に来て周りの人間を眺めながら過ごしてきた。田舎から出たぼくにはなにもわからない。何を考えても答えは出ない。

 

 この数日でたくさんの人を見た。若々しい新入社員、ありえない髪色に染めた外国人、しょぼくれたおっさん、泣き叫ぶ赤ん坊、それにキレかけるにーちゃん、ごつくていかついがキャラクターストラップをつけた可愛い一面のある男性。見るだけなら楽だ。ぼくからすれば所詮それらはNPCでモブキャラなのだ(ぼくが主人公というわけではないけれど)。何度か言ったがそんなモブは有象無象だ。面白い何かがなければ明日の朝には夢とともに忘れてしまう。

 それでも実際はモブじゃなくて一人の人間として生きているはずだ。さっき電車を降りたおっさんもあと30分もすれば家のドアを開いて嫁がいるのだろうし、そんな家族がいなくてもなにかしら未来の希望があって生きているのだ。そしてそのおっさんもぼくの倍ほど年月の積み重ねがある。薄っぺらいぼくよりおっさんは立派なのだ。

 ここまで考えて周りを見渡す。どこを見ても会社帰りのおっさんにおばさまだ。つまり、それだけ誰かの人生が転がっているのだ。人はそれなりに選択してすきに生きているはずだ。その選択がたくさんのどこかの誰かに行われていて、それで世の中が回っていると思うと怖くなる。

 

恐ろしいものだ。

 

 そしてぼくも外でいろいろする。会社に働くおっさん予備軍だ(もうおっさんかもしれない)。そこでぼくは会社の人にこんな質問をされた。

「あなたはこの会社で何をしたい?」

こんなの答えは決まっている。なにもしたくない。会社はぼくに金を払う組織で、ぼくは会社でなにかして過ごす。この「なにか」は楽であればあるほど良い。「書類を作る」よりも「書類を読む」ほうが楽だし、「書類を読む」よりも「書類を捨てる」ほうが楽なのだ。それを繰り返せば「なにもしない」に行き着く。なにもしないのだから苦の概念が入り込む余地はそうそうない。座っていれば金が入るならぼくは進んで座る。

 が、適当に答えなければならないので僕は答える。

「えーっと、仕事でなにかしたいというのはないのですけれど、給料でメガドライブとかPCエンジンとか昔のゲームハード買いたいですね」

当然、期待した答えと違うのだから質問者は微妙な顔をしていた。

 「え?…………じゃあ具体的に会社に貢献したいこととかはない?」

「うーーーーん………………………まだ現場見てないんでよくわかんないすね」

「………………」

「それなりにいうなら世界のどこかの誰かが何も悩まず過ごせるようなものに関わりたいですね」

「世の中の基礎作りですね、わかりました」

 そして質問者は別の良い答えを持つ人間を探しにどこかへ行った。

 

 ぼくにも本音と建前くらいはわかる。最初から後者を意見として出しておけば何も問題はなかった。それもわかる。わかってはいるけれど言いたくはなかった。大衆の前で「参った」と言わされるような苦しさがあった。仕事は金を稼ぐ手段であって目的ではない。そんな大層な理由はぼくにはない。

 別に否定されても構わない。仕事をする理由は人によるのは当たり前で、人生も無数にある。ぼくの考え方はあまり良くないと言われることもよくある。好きに言ってくれ。

 

 つくづく生きるのに向いてないと思う。