あんかけが書く

かきたいことをかきます。

44つめのすきなもの『すきなものがある人』

 ぼくはあまり多くを語らない。この一文の意味はそのまま、口数が少ないというだけのものである。もっとおしゃべりだった気がするが、今のぼくはそう喋らない。よって、話題を提供するのはもっぱら相手である。もちろん、安定度の距離感があってのものだ。

 ぼくと初対面のあなたがぼくと会話をしようとなにか話題をひねり出そうとするとき、おそらく自分の持つ話題カードから最も無難なものを切るだろう。例えば、ぼくの手札は「本・作家」「一人暮らし生活」「地元」「ラーメン」「ゲーム全般」「スマブラ」くらいだろうか。そして、他人に見せやすいカードは「一人暮らし」か「地元」くらいである。自分を知ってもらうには悪くないし、相手も一人暮らしでおもしろエピソードがあるかもしれないからだ。会話には『話題神経衰弱』とでも言うべきゲームが隠れている。

 

 ぼくはこのゲームが死ぬほど苦手である。先程の続き、本当に切りたいカードと言うなら「スマブラ」か「ゲーム」カードになる。自分のすきなことについてであればいくらでも話したいし話を聞きたいものなのだ。世の中の人間の奥底にはオタク的な何かが眠っている。

 

 先日、とある人が「独り飲み」のカードを切ってきた。その人はおっさんであるが、ぼくのような若者に対してその話をするのはなかなか難しい(ぼくの知る一般的な若者は大衆居酒屋でデカい声で喋りながら酒をグビグビ飲むものだと認識している)。勇気のあるおっさんだとは思ったが、いいカードを切った。ぼくも独り飲みはすきなのだ。

 おっさんは楽しそうに独り酒飲みの極意を語ってくれた。いつも見るおっさんとは違うわくわくした顔で。そんなおっさんの話は面白かった。意外と当てはまる人間か多いのかもしれないが、すきなことの話の一発ネタは抱えているものだ。そういったものはすきである。

 

 ぼくは今年に入ってイベントに行くようになり、ぼくと同じようにゲームがすきな人であったり、同人誌を作るような人を見た。すきなものをすきなように楽しめる集まりに存在する人は、そのものと同等に愛が伝わるような話し方をしてくれる。目を輝かせ、朗々と語る。それは聞いているぼくも楽しくなる。

 

 本当にすきなものを持つ人は少ないように見えるが、実は心の底に何かあるのかもしれない。もう一度、自分のすきなものを考え直してみてはどうだろう。ぼくは、(ぼくが面白いと思うような)すきなものがある人を応援したい。