あんかけが書く

かきたいことをかきます。

赤信号の話

 ぼくの近所にすごく小さな交差点がある。歩きでしか通らないぼくから見れば、見通しが悪くもなく、道は狭いが交通量はさほどないこの交差点はそんなに気にならない。しかし、この交差点には信号がある。ちゃんと切り替わるやつだ。

 歩けば3秒の交差点を毎日3秒かけて渡る。信号である以上、青信号と赤信号があるわけで。そこそこの確率で3秒に40秒ほどおまけをもらってしまう。

 さて、このおまけは受け取り拒否することな不可能ではない。いわゆる信号無視だ。立派な法律違反となるので良くない行為である。

赤信号はどうして渡るとダメなのか? 弁護士が容赦無いマジレス - ライブドアニュース

 小心者のぼくは酒でも飲んでいなければそうそうできない。人生でポイ捨てをしたことがないくらいには善良な市民なのだ。

 

 そもそも交通信号機は、道路における交通の安全の確保、若しくは交通の流れを円滑にするために、進行許可・停止指示などの信号を示す装置である(wikipedia、交通信号機より)。こいつの目的は「みんなが幸せに道路を使えますように」という可愛らしい願いの元置かれている物だ。上記の違反はそれにくっついて「みんなに迷惑させたからしばく」という意味合いだろう。

 法律というルール、みんなのためにわたしのためにという心がけによって日本では幼少期より交差点を含めた交通について教育がなされる。誰でも横断歩道は手を挙げて渡ったことがあるだろう(背の低い児童を目立たせる為とか)。

 

 しかし、残念ながら人の意識は変わっていく。気がつけば人は手を挙げなくなり、「青信号点滅はワンチャンある」とギリギリを詰め、最終的に「車おらんしええやろ」と赤く照ったその道を歩く。

 おおよそ年齢が上がるとこういう意識の変わり方になると思う。勝手に見ている印象では若者よりおっさんの方が赤信号を渡りがちだ。

 向こう側のおっさんの背中を眺めながら自分を見直してちょっと不安になる。いつかぼくも、ひょんなことからのぼくの世界の基準が変わってしまうかもしれないのだ。腹痛で遅れた朝かもしれないし、発売日のゲームソフトかもしれない。きっと変わる瞬間にDetroit Become Humanの変異体になるような葛藤があるのだろう。それさえ越えれば世界は変わる。

 

 別に自分の目の前で死なれなければ信号ごとき適当にやってくれればいいのだ。こんなところで道徳を説くつもりもない。それでもなんとなく精神も歳を取っていくものだと思うと複雑な気持ちになる。とりあえずぼくはいい人であり続けようと思う。