あんかけが書く

すきなものをかきます。

48つめのすきなもの 『大盛無料』

 無職の身となったぼくでも、ちょっと外出した時はそこらの店で食事をする。家に帰って何か作ってもいいのだが、外に出た後だと家事をするのはいつもよりはるかに億劫に感じる。会社に行っていた頃は何も思わず夜に家事をしていたのだが、人は怠けると落ちるところまで落ちるらしい。

 とは言いながらも、やはり値段の高いところはちょっと苦しい。残りの銀行預金は寿命に等しいため、なんとかやりくりしなければならない。しかし、かなり食べる人間であるぼくがいつも満足に食べようとすると、どうしても割高になってしまうのだ。家計簿を見ると、大抵エンゲル係数が平均よりも高くなっている。

 しかし、飲食店を回っていると助け舟はそこらに出ている。看板にでかでかと書かれた文字、「大盛無料」である。何が大盛なのかはものによって様々だが、よくあるのはラーメン屋の麺だとか定食屋のライスとかだろう。あの文字がたまらなくすきである。

 

 ぼくはよく「白米とおかずを食べる比率が白米に偏りすぎている」と言われる。自覚しているのだが、白飯が美味いのだから仕方ないのだ。明太子をおかずに飯を食うなら茶碗一杯に対して親指の先に乗るくらいの大きさの塊で十分である。書きながら自分はおかずより白米の方がすきなんじゃないかと思い始めた。

 ラーメンも同じ理屈だ。麺が白米ポジションならスープやその他具材はおかずである。ルーティンのように最初の一口はレンゲ一杯のスープ、次からはほぼひたすら麺である(この時、天一のラーメンのように米と合うタイプのラーメンなら米が優先されて麺はおかずになる)。麺の量もスープに比べると若干物足りない気がしてしまい、少しがっかりすることがよくある。おかげでちょっとキレイなラーメン屋よりも年季の入ったようなところや二郎系を好むようになってしまった。

 

 今回のタイトルを見直して白米ではないことを思い出す。

 

 人よりも食べることがわかっているため、基準がおかしいことは重々承知しているが、なぜ大盛サイズの並盛は少ないのだろうか。無料で出せるならば最初から大盛にしてほしいものである。乙女なので注文の際に「ライス大盛もう一杯」と何回も頼むのは若干恥ずかしい。

 というわけで全国の諸君も白米をモリモリ食べよう。大盛の米はうまいしテンションが上がる。だからこんな朝から食う米は朝の空気と共に吸い込むにふさわしい逸品である。朝から米大盛の定食を食うのもまた一興。是非とも近くの定食屋で大盛くださいとコールしてほしい。朝から新しい世界を見ることができると思う。

 

 ちなみにこの文は昨日買った菓子パンを食べながら書いた。

ゲームについて思うこと 8 『ポリシー』

 ここ数日、スト5が楽しい。日本のEspで盛り上がってる2D格闘ゲームの中心にあるゲームとして、手を出しておくべきかと思ったのがきっかけなのだが、ここまでモチベが出ると思わなかった。定期的に触っていきたい。

 スト5から少し離れて他のゲームの話も出してみる。OWも友人と遊ぶために、と思って買ったもののなんだかんだ一人でもオンラインに潜ってプレイする回数も増えた。スマブラは変わらず。

 逆に、手を出してみたものの「ちょっと合わんな」と感じたものもある。

 一つ例を挙げるとするならハストンである。一人用モードばかり触るようになってしまった。格ゲーや対戦ゲームの如く最初からできる事が多いわけではない*1のが原因だろうか。解説動画やwiki的なものを読んだりするのは面白いと思ってよくしている。ここで知ったことをすぐに出来ないことが「合わないポイント」なのだろうか。逆に、一人用モードは所持するカードにあまり関係なく遊べるのが気に入っている。

 

 対戦ゲームをプレイする際に心の片隅に置いていることがいくつかある。タイトル通りのポリシーというものである。

  1. 勝ち負けの要因は「実力:キャラ差:運=5:3:2」くらい

  2. 勝った時は自分の実力に心の底から酔いしれる

  3. 負けた時はすぐに変えられる「考え方」を見直す

  4. 負けた原因は「ゲームそのもの」よりも「自分の足りなさ」にある

  5. ゲームの否定は絶対しない

 とりあえず順番に書きたい。

 

1.勝ち負けの要因は「実力:キャラ差:運=5:3:2」くらい

 本当にどうしようもないマッチアップなんてのは確かにあるとも思う。スマブラforのvsソニックは毎試合泣きながらやっていた。

 他のゲームの様子を見るため、調べたらこんなのも出た。

youtu.be

 これザンギエフ無理だ

 このステージでこの対面をした時点で終了。流石に笑う。

 

 ここまでのゲームは経験したことがないため強くは言えない。というか「格ゲー 詰み」で検索して改めて世の中の恐ろしさを知った。

 

 ぼくはここまでのゲームはやったことがないし、やったゲームの中にそれを感じるまでやりこんだというわけでもない。それでも、自論として『買って10分プレイした人の上位キャラvsものすごいやって努力もしてる人の弱キャラ』は後者が勝つと思う。というわけでキャラ差をどうこう言う前に実力は必要だと考えている。キャラ差よりも実力でなんとか巻き返せるはずなのだ。

 とは言っても、キャラ差は無視できない。つらいものはつらいのである。先述した「スマブラforにおける vsソニック」は持ちキャラ*2と相談して出すのがプリンであった*3。空中でならギリギリ戦いに持ち込めて、ワンチャンがあった。相手を動かせるだけの実力がなかったと言えばそこまでだが、待たれればできる事が特になかったのがつらい。言い訳にはできないが勝負の決着無視できない要因としてキャラ差はあると思ったものである。

 そんな勝負の中でも「ぶっぱ」に部類されるような「ねむる」を当てて勝つこともできた。相手からすれば交通事故のようなものであるが、こちらの運が良かったとしか言いようがない。格闘ゲームはジャンケンのような読み合いもあるわけで、運に左右されることも少なくないはずだ。

 

 という感じで、勝負にはこんな要因が強く関わっていると思っている。

 

2.勝った時は自分の実力に心の底から酔いしれる

 毎度毎度勝ちを目指して戦い、全力を尽くしているのだ。頑張りにはそれ相応のご褒美が必要である。というわけで、勝つ度に全力で喜び、自分を称える。「あの場面でこの行動ができた」「あの時にこの技ができるのは俺しかいない」「当たればぶっぱじゃねえ、立派な読みだ」などなど。

 自分のプチ反省会も兼ねながら良い行動を見直せば、勝つために何をするべきかも見えてくる。自分のモチベも上がり、動きも精錬されるならばいいことである。

 

3.負けた時はすぐに変えられる「考え方」を見直す

  もちろん、ぼくは最強ではないので、負ける。負けるときは本格的に反省会である。

 明らかなミス、欲望に負けて出した大技、癖になっていた悪い行動。いくらでも出てくる。が、そう長い時間憂鬱にもなっていられないため、すぐに出来そうなことは頭に入れる。飛び道具に対して突っ込みすぎた、じゃあ今度は普通にガードもしてみよう。ヒーラー見ずにタンクだからと前に出てもすぐに集中砲火で落ちる、なら一回出る前に味方を見よう。基本的な話は見直して少しづつ習慣にする。

 

4.負けた原因は「ゲームそのもの」よりも「自分の足りなさ」にある

 あの技が強すぎる、このキャラではどうしようもない、やってない*4。よく負けた時に出そうになる言葉だ。それだけは絶対に言ってはいけないと思っている。

 相手の行動が強いなら今できることで対策を考えるべきであり、そこに文句をつけても仕方ないことである。悪態をついても次のアプデまで環境は変わらないのだ。勝ちたいなら黙ってキャラ変えるなりすればいいと思う。

 チームゲーならマッチングのせいにもできるのだが、そこも含めてゲームである。相手が強すぎるのも味方が弱すぎるのも一旦置いて、自分にできたことを考え直す。悪態をつくのはそれからでも遅くない。

 

5.ゲームの否定は絶対しない

 世の中の大抵のゲームには、それが本当に好きな人がいるものである。そのゲームに対してマイナスな言葉をぶつけるのは良くない。それが好きな人を否定することと同意義だと思う。面白くないなら大人しく寝ていればいいし、他のゲームが面白いと思うなら面白いと思うゲームだけやっていればいい。

 やるならゲームの面白さを見つけて、楽しみながらやる方が幸せである。どうしてもできないなら別のことをして気持ちを入れ替えてからやる。楽しいことに時間を費やす方が良い。

 とにかく、やる以上は楽しみながら上を目指していきたい。

 

 

 

 といったところである。

 ぼくが思っていること、こうあり続けたいと願う気持ちもあるため、メモ帳代わりにと書き留めた。

 できれば今のまま楽しみ続けたいものだ。

*1:カード収集をする手間が必要となる

*2:ガノンドクマリ、プリンがメインでした

*3:スマforで上位として戦えるキャラを練習するべきであったが、好きで使っていたので何も言えないかもしれない

*4:やった

会社を一年くらいで辞めてゲームしている話

 どうも。あんかけです。少し前にこんな記事を書きました。

ankakeassa.hatenablog.com

 

 前回の終わり際の文章を読んでいる感じ、

「よーし、今までちょっと良くなかったけどこれからはお仕事頑張るぞ!」

みたいな終わり方をしていた。それが3月中旬くらいの話。

 

 で、6月に入ったわけですが。

 会社を辞めることにしました。

 

 「前回からどういうことや」とTwitterやLINEで聞かれまくったので、ここでちゃんと説明します。一応、少し嘘を練りこんでます。

 

 休職から会社に行くようになってからは、会社に行って何か簡単なことをする、という日々が少し続いた。

 お金がないから仕方なくやるしかないかという考えが大きかった。それでも、俺はしばらくこのままでいいとも思っていたし、友人やいろんな人(本当にいろんな人)もそれを勧めていた。なにより、上役は自分のすきなもの、それに対する熱意は認めてくれると話した。続ける理由はいくらでも作れたと思う。

 その反対に、辞める理由もいくらでも出せた。「THE・会社」のあの雰囲気はどこまでも俺を憂鬱にしてくれたし、周りの人の働き方は理解できなかった。休んでいる間にやってみたいことも目に入った(別に辞めなくてもできたとは思うが)。

 

 結局、どうするべきかは決めきれないままだった。自分がどうするかは明日の自分が決めるだろうと先延ばしにし、その結果として続けているだけだった。

 

 ある日、自分の今までの生き方だとか考え方が間違っているんじゃないかと思うような出来事があった。他の人には当たり前で、いまさら何をと言われるような話である。あまりここには書きたくない。

 世の中にはたくさんの人がいて、何をどう考えるか、も億人億色ということはわかっていた。それでも、世の中で正気を保って生きていけるような人達は当たり前の認識があった。「俺はまともで、一般大衆として間違っちゃいない」と思っていた自分にはショックだった。

 その日はこんな記事を書いている。

ankakeassa.hatenablog.com

  ツイートもそこそこキている

 

 世の中と自分と人生を憎んで泣き、今更どうしようもないことに気が付いてまた泣いて、心の底から生きるのをやめたいと思った。

 とは言っても死ぬほどの勇気は無いし、どこで死んでも迷惑になると思うと死ぬ場所も無かった。

 とりあえず生きることにした。

 前回に少し触れた「自分ノート」をめくって生きる理由を探した。幸い、かなり前の死にたい時期に落ち着くために書いたものが少ないながらもいくつかあった。

 まだ天一のこってりラーメンを啜りたい。まだやってないゲームは無数にある。あの人のゲーム実況はまだ続いてる。まだあのゲームで戦いたいアイツがいる。まだ岐阜スマは続けたい。

 

 

  ちょっと生きたくなったところでどうすればいいかを考える。自分が生きにくいのは自分が悪いという根本から見直す。そもそも生きるのに向いてないというのは世の中が悪いと開き直った。俺は悪くねえ、お前らのせいで俺が迷惑してんだぞと逆ギレした。よく考えたら俺がこうなったのは働き始めてからじゃねえか。会社やめたら解決するだろ。退職届はもう前から書いてる。これ叩きつけたら終わりやぞ。

 待て待て落ち着け。やめたからといってなんかできるんか?現状手元に世の中で戦える武器はあるんか?無いだろ。大人しくこのまま生きとけ。

 

 いーや、「大人」になりきれてない俺が大人しく、なんて無理だ。

 

 とはいえ今は深夜。こういう時に何も考えず行動して辛くなった事は数知れずある。朝起きて昼飯を食いながらもう一度考えても悪くない。

ankakeassa.hatenablog.com

 

 次の日に目覚めてしまったが、生きる気持ちの今は何でもできる気がした。

 

 自分もそこまで金が欲しいわけでもない。金を稼ぐ理由も新しいゲームとネット回線のためである。一度、会社の同期に「余計なことに金使ってんな」と言われたが、「それならお前の人生も余計だな」と本気で怒ったくらいには真面目にそう思っている。生活費は計算してバイトであれ問題ないとわかった。

 仕事も別にこれから見つければいい。世の中求人誌にもサイトにも仕事は転がっている。少しでも今より「行きたい」と思うところに行けばいい。心を壊して何もできなくなるよりはマシだ。せっかくならゲームに近寄れる仕事がいい。

 何より、俺は「自分」の人格がそう好きではない。同じような思考をする人間がいるなら全力で拒否するし、接近されたとて互いに分かり合えないと表面を取り繕うような「皮」を見せるだけである。

 その人格よりも「あんかけ」人格がすきだ。友人に見せる笑顔も対戦中の悔しさもいつも心の底から湧き上がる。ゲームを通して出る感情は本物で、これなら知らない人とも仲良くなってきたし(少なくとも自分はそう思っている)、海外兄貴にだってたどたどしい英語でも「ゲームっていいもんだな」とわかりあえた(ゲーミフィケーションは意味が違うがgame+communicationということで)。

 

 気が付けば自己表現の大きな中核を成すものはゲームだった。STGみたいな細々したもの、コンボキャラみたいな繊細さを求めるものはほどほどとして、少ないカードでもここぞという場面で一発決めてやるワンチャンキャラに手を出し続けた。モンハンだってなんだかんだすきな武器はハンマーで、EDFはプラズマランチャー(礼賛もすき)がすき。

 音ゲーも汗をかくほど大きく動くものがすきだ。きっとどこか目立ちたがりなのだろう。岐阜スマだってコスプレする必要は無いのにやっているわけで。

 

 だったらゲームで生きるのにワンチャン賭けてもいいだろ。

 

 今まで俺のしてきたゲームに対しての気持ちは本物だと思っている。短い人生でやめてきたこと、飽きたことはいくらでもある。ジョギング、筋トレ、毎日の勉強、DTM、整った生活リズム、日記……。思い出せないものもいくらか。ゲームといくらかのものだけはすきでい続けている。

 そして今の時代、ちょっっっっっっっっっっっっっっとづつゲームをなんとか面白い世界だと広めようとする人がいる。その陰で頑張るいろんな人がいる。これもそのうち日本が第三次産業として認めるかもしれない。そこで俺が頑張る人としてこの世界に恩返しができるなら、なによりだ。

 

 

 

 そして。

 辞めることにした。

 

 

 

 部署の上の方と面談をしたのだが、役職がかなり上の方まで話に来た。俺としては考えたことをそのまま言っただけである。上記の話した方はもちろん、初めて「あんかけ」のしている事を話した方々にも頭の中の物事を説明した。念のためにと録音していたが、それを聞かずとも、あの時に返ってきた言葉は何となく覚えている。

「何人も早いうちに出ていった社員を見ている。君のようにやりたいことがある、と言った人間の割合も多かった。けれども、君ほどそれに対しての思いが強いと思った人間は、いなかったかもしれないね。」

自分で書いていて、都合のいい話が一番に出るとは恥ずかしいばかりである。

そして、これも。

「俺は好きな事を仕事にしたくないんだよね。俺も好きな事はあるけれど、仕事なんだからその業界の嫌な話、見たくない面も見えるわけだし。君はそれを受け入れる覚悟はあるかい?」

 答えはYesだ。

 Twitterには毎日のように炎上案件が目に入る。いろんなイベントに行ってみれば、参加者側でも運営側でも良い点もあるが悪い点はさらに目立ちがち。開催する側でも、今のこの業界の問題点も苦労も、聞くし読むし知ってしまう('オンライン'で'既存のサービス'を使って'超小規模の'大会を開くのもごたつくわけで)。

 でも、それを含めてやってやる。俺がなんとかできる範囲はあるけれど、なんでもなんとでも手を尽くしてやりたい。それくらいの気持ちは持っている。

 

 

 

 今は手を付けた範疇の仕事の引継ぎをし、有給消化を兼ねて休みつつ、必要な手続き、転職活動、バイト探し、このブログを書き、本を読み(前回参照)、ゲームも欠かさずしている。正直、仕事をしていた頃の方が時間があった気がする。満足度は今の方が段違いに高いが。

 

 中学生の頃は「大人になったら何になるんだろう」と思っていた。今の民法では成人に分類される年齢の俺はなんと「何者にもなっていない」。それどころか「大人」ですらない。笑えない話である。

 まあ、でも、今は、やれることをやりながら、やりたいことをやる毎日を楽しむのが正解だろう。のんびりとはしていられないが、もう少しだけ、この時間に身を任せていよう。

 

 次に書くことは、できれば幸せな内容であるのを祈って。

 


f:id:ankakeassa:20190603032023j:image

 

 

 

 

 

 

 

 ここまで書いて、「迷いと決断」をテーマにしたブログのコンテストが目に入った。ちょうどいい。やれることはやってやる。迷わず応募するさ。

ゲームについて思うこと 7.5 『いろんな本』

 本を読み始める度にいつも頭に浮かぶ、「人生のうちに読める文字数は決まっている」なんて都市伝説がある。週刊誌の編集者であったり超有名ブロガーの可読寿命は短いのだろうか。ましてやSNSの蔓延る今の時代、ぼくのような意味もなくTLを眺める人間は多いのだろう。

 ここ一年はほとんどゲームに関する本しか読んでいない気がする。図書館にはそうそう見ないため、大抵は買うことになる。書店で探してもなかなか見つからないため、専らAmazonを使っている。気が付けば本棚の容量を超えるほどに増えた。

 今回はぼくの本棚のゲーム本でも紹介してみる。いくらか前に紹介した分を省いておく。流石に同じ本の紹介文にバリエーションを出すほどの芸当は持ち合わせていない。

 

ankakeassa.hatenablog.com

 

 

 

日本人初プロスマブラーの軌跡

日本人初プロスマブラーの軌跡

 
東大卒プロゲーマー (PHP新書)

東大卒プロゲーマー (PHP新書)

 
勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

 

 まずはプロゲーマーが著した三冊。まとめて紹介するのは申し訳ないほどに良い本。『日本人初プロスマブラーの軌跡』、『東大卒プロゲーマー』は自伝に近い。それぞれスマブラDXのaMSa選手、ストⅤのときど選手が書いたものである。プロゲーマーになれるような人間は、幼少期からゲームに対しての熱意があるものだと考えてしまった。人生を通して一つの物事を極めようとする姿勢はゲームでも素晴らしいものであると思う。

 『勝ち続ける意志力』はあのウメハラ選手から。何年もプロゲーマーであり、上位であり続けるその考え方の詰まった一冊。すべての対戦ゲーマーは読むべきものだと思う。ぼくも何か自分ができるものは、と一丁前に考えるようになった(結果として医者で上必殺を擦るようになったわけだが)。ウメハラ選手には他の著書もあり、それらも余裕ができれば買いたいところ。

 

 

DeToNatorは革命を起こさない ゲームビジネスで世界を目指す

DeToNatorは革命を起こさない ゲームビジネスで世界を目指す

 

  日本で最も多くのゲームタイトルでプロゲーマーを持つであろう(あまり詳しくない)DeToNatorの代表、江尻勝氏による書籍。これからの日本のEsports界にあるべきゲーミングチームの考え方を綴っている。

 理想ではあるものの、実際にEsportsチームが生産性を持つ一つの組織として活躍するのであれば、江尻氏の方針は正しいと思う。将来的にJeSUがチームを支援する形になると思うが、Esports界をどのようにしていきたいのか明確でなければ、新たに声を上げるのも難しくなるのではないか、などと余計な想像もした。

 ともかく、まずは令和となった今年のEsports界が楽しいものになることを願うばかりである。

 

 

ゲームは人生の役に立つ。  ~生かすも殺すもあなた次第

ゲームは人生の役に立つ。 ~生かすも殺すもあなた次第

 

  タイトルの通りである。現在は総務省認定の地域力創造アドバイザーなどを務める著者、小幡和輝氏が考える、ゲームとの向き合い方について書かれている。

 ぼく自身子供の頃からゲームばかりしているような人間であったが、ようやく今の時代になって少しゲームというものが日の目を見るようになってきたかな、と思う(未だに悪印象を持たれていたり、逮捕時の報道にゲームが押収されたと言われるが)。この本で語られているゲーム像は間違っていないが、悪い面もあることは仕方ない。それを含めても、これからぼくが小幡氏のように「ゲームって面白いんだぜ」っていろんな人に言うならば、押し付けるのではなく耳を傾けてもらえるような話ができるようになれればいいなと思った。

 

それは「ポン」から始まった-アーケードTVゲームの成り立ち

それは「ポン」から始まった-アーケードTVゲームの成り立ち

 

 さて、ここからしばらくはゲーム史にまつわる本となる。『それは「ポン」から始まった』(以下、『それは』と表記)は、2005年が初版と今から見れば「これからいろいろ面白くなるぞ」 という時代である。しかし、現代のゲームの前身、エレメカから詳細に紹介されている本はあまりない。また、他のゲーム史書籍に引用されるほど、様々な出来事や物品について触れている。ゲーム史を知ろうとしたときに初めに読むのにおすすめの一冊。

 

 

現代ゲーム全史  文明の遊戯史観から

現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から

 

  続いてこの二冊。どちらも近年に発売されたとあってスマホゲームについても取り上げている。『それは』の次に読むならこの二冊。どちらもゲームハードと共に進化してきたゲームソフトの発展を『それは』より詳細に取り上げている。

 『日本デジタルゲーム産業史』は実際の数字を出しつつ、ゲームに対して一定の評価を下す書き方であり、企業やハードが時代と共にどう変わっていったがわかりやすい。

 対して、『現代ゲーム全史』はソフトとユーザーの関係、ゲームの遊び方の移り変わりに着目している。ぼく個人としては、当時のゲームソフトにどのような特色があり、どう楽しまれたかを知ることができ、こちらは読み物としても面白いと思う。

 レトロゲームと呼ばれるゲーム達が出た時代、世間はどんな反応だったのかを知る良い資料である。

 

 

家庭用ゲーム機興亡史

家庭用ゲーム機興亡史

 

  こちらはタイトルの通り、ハードに重点を置いた一冊である。よくゲーム会社によるハード伝道競争を「ゲーム戦争」などと比喩されるが、各ハードが何とどのように競っていたのかを知ることができる。

 家庭用ゲーム機の名前が挙がる数なら、おそらくこの本が紹介する中で最も多いと思う。ファミコン以前に群雄割拠と出た国内ハードはもちろん、PCエンジンの周辺機器もほぼ網羅されているのが良い。ぼくはこういう細かい話がすきである。

 ただし、終わりのないゲームハード戦争に火薬を持ち込むような話でもあるため、「ハードは〇〇がナンバーワン!」という方にはお勧めしない。

 

 

僕たちのゲーム史 (星海社新書)

僕たちのゲーム史 (星海社新書)

 

  こちらは「ゲームはボタンを押すものにストーリー性を持たせたものである」を軸にゲーム史を紹介する 。上記四冊とは違い、多くのゲームに触れてはいないが、ゲーム史(ゲーム文化と言うべきか)をうまく説明している。上記の本よりはいくらか読みやすいはずである。 他と違い「ゆるく」ゲーム史をたどっているため、わかりやすいと思う。

 
f:id:ankakeassa:20190601112421j:image

分厚さで言えば結構違う

 

 

プレイヤーはどこへ行くのか――デジタルゲームへの批評的接近

プレイヤーはどこへ行くのか――デジタルゲームへの批評的接近

 

 この辺りからゲーム史とは離れてくる。

 この本の裏表紙にあるゲームタイトルにピクリと反応するものがあるなら買いである。作者の項目の人数が多めなところからわかるように、アンソロジー的にゲームについて語る。最近出版されたものとあり、ここ数年のゲームが特に触れられている。

 ちなみにぼくのお気に入りは「パチンコのゲーム性の変遷」。電子遊戯としては別の世界線を歩んできたパチンコについてはノータッチだったため、かなり興味深いものであった。ただ、ぼくはギャンブルにのめりこみすぎるため、、パチンコはそうやらないと思うが。

 

 

横井軍平ゲーム館 RETURNS ─ゲームボーイを生んだ発想力

横井軍平ゲーム館 RETURNS ─ゲームボーイを生んだ発想力

 

 任天堂にてヒット商品を生み出し続けた横井軍平氏の玩具に対する思いの書かれた一冊。

 何に関してもそうであると思うが、新しいもののどこかは古いものを参考としている。あの「枯れた技術の水平思考」だ。問題に対してどこかに眠る解決策を引っ張り上げる考え方は、人生の教訓としても頭に入れておきたいものである。

 

 

桜井政博のゲームについて思うこと 2015-2019

桜井政博のゲームについて思うこと 2015-2019

 

 『星のカービィ』、『大乱闘スマッシュブラザーズ』生みの親、桜井政博氏の書いたコラムをまとめた一冊。タイトルにもあるように、おおよそスマブラfor発売~スマブラSP発売辺りまでの期間の話である。

 「ゲーム作りはタイヘン」「がんばって作りました」などとそこそこの頻度でツイートしている桜井氏だが、実際の制作の裏話を聞くと誇張ではないなと思う。ユーザー視点からは見えない技術的な話は面白い。

 これからのスマブラSPはまだまだ面白くなるはず。申し訳ないが、桜井氏に休む時間はしばらく来ないのだろう。

 

 ちなみにぼくの「ゲームについて思うこと」はここからきている。なんか申し訳ない。 

 

ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム

ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム

 

 「ゲームとはなんぞや」を突き詰めた論文。そこそこのゲームを遊ぶうちにわからなくなってくるこのテーマを様々な学問から見て研究している。ゲームを語る際には必ずこの論文が登場する。

 いつも「こいつは面白い」と遊ぶゲームも、「どこが面白いのか」「何がゲームをゲームたらしめるのか」と考えていくとここまで深いものになる。いつものゲームが少し変わって見えてくるかもしれない。

 

 

 以上。

 だいぶ長々と書いた気がするが、一冊あたりの紹介文の文字数はそうでもない。読書感想文が苦手故のものである(言い訳するな)。

 ゲームオタクはとりあえず書店で見かけたら立ち読みしてみるといいかもしれない。きっと今までのゲームに対する見かたが変わるだろう。

 

 

 なお、Amazonのリンクとして貼っているが、ここからポチってもぼくに収入はないため、気にせずポチってほしい。というか買え。

人になれない

 『大人になりたくないよ』なんて大人ぶっているうちに20を超えて大人になってしまった。未だに脳味噌の中はゲームとかすきなものしか詰まっていない。本当は仕事とか責任とか将来とか生き方とか小難しいものがあるべきだろうに。世間知らずの田舎のクソガキであり続けた何年かは、今になって完全に意味のないものだったと心の底から思い知った。

 

 周りの『普通の人達』はすごいことばかりしている。寝坊もしないし夜更かしもしないし仕事の時間に仕事ができる。計画という言葉の意味を知っていて、それができる。自分に目標があって、それへ努力できる。仕事以外の接点がない他人と交流ができる。愛し愛される人がいる。自分に何ができるか知っている。生きるためにと割り切って時間を使うことができる。死にたいとも思わず懸命に生きることができる。

 俺はこれらのなかのなにひとつできない。

 

 俺が俺であるためにゲームに狂っているのかもしれない。もう俺なんてものはどこかに消えていて、ゲームをしている時だけ俺になれる。俺以外の時の俺は抜け殻でしかないのだろう。そいつは誰なんだ?何なんだ?

 

 人として生きるのをやめたい。俺として生きたい。その選択をした瞬間、世界から外される。どこにも居てはいけなくて、六畳の隅でじっくり死ぬのを待つだけになる。

 

 大体、他の人間は何をどうしたら生きていこうと思えるんだ?なぜ明日へ迷わず進めるんだ?どうしてその24時間に意味があると思っているんだ?いつからこんなことを考え始めていただろう。死にたいのではなく、生きたくない。今の自分が今のままいられる手段は死ぬ以外の選択肢がない。生きるか死ぬか以外の選択肢、例えば『怖ぬ』なんて動詞があるなら、それを選んでいるかもしれない。

 

 幸せな瞬間だって確かにある。じゃあそれ以外は?布団に入って明日に怯える時間は?面白いことなんて何もないとわかっている場所へ歩く時間は?それ以外も生きていたいのか?

 

 頼むから次の眠りを最後に、二度と世界と顔を合わさせないでくれ。