あんかけが書く

すきなものをかきます。

42つめのすきなもの『一人称』

 ぼくは普段、「ぼく」という一人称を使わない。友人の前なら「俺」である。ぼくがこのブログで「ぼく」にする理由はあまりないが、強いて言うなら「ぼく」である方が文章が出やすいのである。勝手なぼくの思い込みであるが、ルーティンと呼べば聞こえは良い。

 

 ぼくの少ない友人・知り合いでも「ぼく」なる一人称を使うのは1人しか知らない。ほとんどは「俺」である。「俺」という一人称にはどこか粗雑で荒っぽい印象があるが、類が友を呼んだ結果だろうか。

 もちろん、ぼくも少しは真面目な場面で話すときがある。そのときに使うのは「私」だ。一人称が変われば口調も変わる。「俺」よりもう少しかしこまった真人間に変身できる。

 

 今出したのは「ぼく」「俺」「私」の3つだが、気を使わずとも使い分けられるようになった。慣れでもあるが、幽遊白書の仙水の如く、「ぼく」人格のようなものが出ているのかもしれない。そう思うと、一人称はなかなか不思議な力を持っている。

 

 日本にはまだ一人称が多くあり、創作物の中では新たに生み出されているものもあるだろう。思いつく限りでも、我、我輩、あたし、朕、わし、うち、拙者、某。ここに出てないものも必ずまだある。もっとも、我輩なんて一人称を使うのはクッパかラーテン・クレプスリーしか知らないが。

 もし自分がこんな一人称を使ったとき、どんな性格になるのか気になる。当分使うことは無いだろうが、ジジイになってから「ワシの若い頃はな、」なんて面倒な話を若者にしてみたいものである。

 

 さて、あなたが普段使う一人称は何だろうか。

さっきまであったこと

 身バレ覚悟で書く。

 嵐のように3時間程経った。

 

 電車で本を読みながら帰ってきた。本のタイトルは『日本ゲーム産業史 ゲームソフトの巨人たち』(日経PB社)。様々なゲーム制作会社の歴史、その中心となったゲームクリエイターの思いが事細かに綴られている。ゲーム好きとして読むべき一冊だと思った。

 

 17:30。いろいろ事情が重なっていつもより早めの帰宅。荷物を降ろし、一息をついた。主苦しいスーツを脱ぎ、シャツを洗濯へ。パンツ一丁になったとき、ふと自分が泣いていることに気がついた。

 風呂に入れば、このよくわからない気持ちも流せるであろうと思い、風呂に入る。しかし、涙の水瓶に水を注いでしまったかのように涙は増すばかり。何かが悲しくて泣き続けていた。

 飯炊きをしなければならないが、そんな状態ではない。泣きすぎて呼吸が乱れ、手足がしびれてきた。よくわからないこの気持ちをなんとかしたくて、対処法もわからないままに友人へ電話をかけた。友人は泣きじゃくるぼくをひたすらあやしてくれた。涙はなかなか止まらなかったが、呼吸は整い、カレーを作れるまでは回復した。

 

 涙も止んだところで、なにか良くないとの友人のアドバイスもあり、明日は休みを入れることにした。先輩への電話は怖かった。「とんでもない新入社員じゃないか」「サボりたいだけだろう」「あぶない奴と関わりたくない」そう思われてしまいそうで。

 実際は優しかった。優しさにまた泣き出してしまったが、社内の環境から私生活まで気を遣って話を聞いてくれた。ありがたい限りである。

 

 自分を襲ったあの悲しさは何だったのだろうか。心の中のもやもやとかすかな痛みをしまい込み、カレーを食らう。

 

41つめのすきなもの『自分の場所』

 別にMOTHER2の「おまえのばしょ」ではない。しかし、それに近い何かがあるには違いない。そう思わせるのが『自分の場所』である。

 この書き方のままでは、あまり具体的ではない。具体例なら自分の家、実家、実家の自分の部屋、自分の席だろうか。自分で得た、もしくは他者より与えられた自分のための空間を示す。

 

 多くの人間がそうであろうが、他人の空間では自分を出しづらい。親しい友人の少ない他のクラスに行った時のような疎外感があるのだ。また、どんな友人の家であれ、その空間はワイワイと楽しむために自分を存在させるのであり、ゆったりするためにいることはあまりない(帰省の際に友人の家を中間拠点にすることはあるが)。どんなに気の置けない友人であれ、その空間の持ち主がいる以上は相手を考える必要がある。

 自分の場所であれば、自分が主役である。どこで何をしようが勝手なのだ。他には見せないほどの堕落した自分でいられる。その自分の周りには自分のニオイが染み付いた(臭くはないはず)道具があることも大きい。馴染んだ物は使うだけでなく、視界に入るだけでも安心する。

 ただ、その空間には他者がいてこそ成り立つ場合もある。自分の席の周りには良く知るあいつやアイツが必要なのだ。虚無の中に自分の席があってもなにか物足りないだろう。ふとゲームをしながら周りを見て思い浮かぶ。

 

 仕事の都合で外へ来ているが、何より安心するのは自分の場所。早く帰ってぐうたらとした自分でありたいものである。

40つめのすきなもの『料理』

 最近ワンルームを借りて住むことになった。炊事掃除洗濯と家事はひと通りしなければならない。今朝も炊飯器の釜を保温のままにして一夜を過ごしたことに肩を落としている。自分が気が付かなかったことを注意してくれる人がいない。寂しさとともに家族のありがたみを感じた。

 一人暮らしの中で少しだけすきなものを見つけた。それは、自分は案外料理がすきなのではないか、ということである。

 レパートリーは指の数にも満たない腕前なのだが、炒める過程などで食材を眺めるのは嫌いではないのだ。箸でこねくり回しながら肉の色が変わり、野菜がしんなりとしていくのは完成に近づくのが目に見えるようで楽しい。料理には工程がある以上、どういったものであれ、楽しいと感じられるだろう。

 また、やはり食べることも一つの楽しみである。カレーなどはまずくなりにくいため当たり前といえば当たり前かもしれないが、味は悪くない。

 しかし、何度か作ってはみる度に実家の飯が美味いことを再確認する。働かずに食う飯の方が美味いのもあるが、自分で作った飯はは何か足りないなと感じてしまう。実家で修行を積んでおくべきだったと後悔もある。

 まだ初心者だから、と妥協できる面もあるが、できる限りストイックに、完成度は上げていけると良い。これからの発展を願う。

 

 食べ終わって思うのだが、皿洗いというのは悲しいものである。先程まであんなに料理が載っていた皿が空になり、しかも手間をかけて洗わなければ再度使えないのだ。

 これだけはどうもすきになれなさそうだ。

 

39つめのすきなもの『AVGN』

 ゲームをすきな人間にはいくつか種族がある。1つゲームを極めるもの、いくつかのジャンルに手を出すもの、片っ端から触れていくもの。

 ぼくはどちらかというと片っ端から触れていくものとなる。音ゲースマブラ等、長くやっているゲームはあるものの基本的には持っているハードの気になるゲームであれば買ってみる。あくまで気になるゲームのみ、金銭的な問題もあるため、大して数は揃わない。いつかはハードも含めて買い揃えてみたいものである。

 

 レトロゲームのコレクターというと思い浮かぶのがAVGN(Angry Video Game Nerd)である。

Movie Reviews, Video Game Reviews, Original Web Series | Cinemassacre | Cinemassacre Productions

Cinemassacre - YouTube

 海外の映像クリエイター兼オタクが作成している動画のシリーズである。このAVGNを日本語訳すると「ブチギレゲームオタク」となる。これらのシリーズに登場するロルフ氏のコレクションからいわゆる「クソゲー」をレビューするのが本筋である。

 このコレクション、部屋の壁を埋め尽くす勢いで各ハードのソフトが揃っている。8bit、16bit時代のものはもちろん、ATARI2600のソフトも毎度のごとく登場する。まさにコレクターなのだ。

 そのコレクションの中の「クソゲー」は無尽蔵である。最初期からならば「ジーキル博士の彷魔が刻」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」そして「ゴーストバスターズ」。後々、「チーターマン」「E.T.」と、どこから入手したかもわからない激レアソフトが出てくる。ぼくもオタクとして一度あの部屋に行ってみたいものである。

 

 肝心のレビュー内容はといえば、酷評も酷評である。クソゲー(主観的に)をプレイしているがゆえのキレっぷりである。その中に生まれる名言も必見である。

 ぼくのお気に入りはこれである。
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 この流れが本当にすき。なんの回かは忘れた。

 この発言、ゲームオタクのほとんどが共感できるのではないだろうか。どんなに必死にクリアしたゲームでも最後に得られるものは「ゲームクリア」の文字。しかし、それだけのために熱意を滾らせるのだ。

 

 これらの動画はニコニコ動画で有志が字幕翻訳を上げている。もしよければこちらも使ってほしい。 

タグで動画検索 AVGN - ニコニコ動画

 

 

 いつまでもこのようにゲームに怒りながらも熱意は忘れない人間でありたいものである。

岐阜スマ3に行きました(オフレポ)

 
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 岐阜スマ3に行ってきた。今回は選手側でありながら運営手伝い(運営)であったため、いつも程フリーには入られなかった。今回は大会中に思ったことを羅列していく。

 

〜〜〜会場準備〜〜〜

 

 今回の大会、運営組の何人かが仕事などの用事で来られなかったこともあり、前回と比べてモニターとWiiUセットが少なかった。岐阜スマの機器は全て個人の私物である。つまり、来られる運営が少ないほど、台数も減るのだ。それに伴い、今回は6台でなんとか回していた。

 ただし、借りた会場がやたら広かったため、レイアウトはかなり自由であった。台数の少なさも相まって中央に卓を置くのは珍しい会であっただろう。

 また、据え置きのテレビを使い、Switch台も置いてみた。このときのぼくの格好が医者で、かつswitch onlineによりドクターマリオが遊べたため、その画面にしておいてどれくらいの人間が遊ぶか眺めていた。

 

〜〜〜予選会〜〜〜

 予選会、と書きながら他についても書く。開会式で話したのはぼくである。主催のスクルトでないのは体調不良らしく、代理を頼まれたのだ。

 あがり症で話ベタなぼくは要点をまとめてテキパキしゃべるのが苦手である。よくある校長の朝礼のようになりがちだ。以降はできるだけ気をつけたい。

 

 予選グループでは(電源ケーブルがないというミスもありながら)そこそこ順調に回すことができた。大会に行くたび思うが、やはり運営外の大会慣れした方の協力はありがたい。

 また、岐阜スマの良いところとして、そこまで規模が大きくない故に、予選落ちやBクラスといった概念がない。トーナメントは全員同じ舞台となるのだ。あまり気負わず予選に向かうことができる。もちろん、本戦トーナメントは予選リーグの結果を考慮されて作られる。

 一応ぼくも運営側の人間としてテキパキとグループ内を回せたと思う。全体を見てもトラブルがなければ予定よりも早めに終わっていた程である。昼食、フリー対戦の時間を作れたのは悪いことではない。

 

〜〜〜本戦〜〜〜

 岐阜スマでは対戦者二人を呼び出し、番号札を取りに来てもらう方式を取っている。これにより、運営側の進行把握と台管理が容易になるなど利点がある。どこかの大会から借りた制度のようだが、いい方法だと思う。

 トーナメントを進めるのにはやはり台数がネックであった。試合をしていない一定数の為のフリー台ができるほどの余裕は欲しいものである。もちろん、後半にはフリー台が用意できた。ただ、台数が少なく、フリーも回っていなかったかもしれない。三戦交代、のようなルールをつけておくのも良いかもしれない。

 決勝は多くの人が見られるようプロジェクタで投影して良かった。あまり写りは良くなかったが、何をしているかがわかるというのが格ゲのいいところである。

 

 ちなみに、本戦は1回戦のvsダンクという身内戦で負け。ルーザーズもこめっとさんにストレート負け。毎度成果は出ないものである。

 

〜〜〜配信〜〜〜

 主催者が機材を揃えた、ということで初めての配信をする。運営組に実況解説できるほどの人間がいないため、途中まで実況はなし。

 後半はエヴィさんによる実況付きであった。慣れた人はやはりうまい。見ても聞いても面白い。以降は実況解説できる方がいればしてもらうのもありかもしれない。

岐阜スマ on Twitter: "https://t.co/a55ytQcvfL 今回実況をしていただいたエヴィさん(@Evi_ssbu )の主催する対戦会 #EVISUMA が10月6日に開催されます。 近くにお住まいの方はぜひご参加ください。"

 ちなみにアーカイブはこちらで見られる。視聴者が60人以上いたというのだから驚きである。次回はYouTubeでも放送してみようと話していた。

Twitch

 

 ぼくはあまりよろしくない発言が多々あったため、少し自重する。

 

〜〜〜その他〜〜〜

 ところで、最初に書いた「とりあえず置いたswitch」を忘れていないだろうか。

 本部からなんとなく眺めていたが、バルーンファイトドクターマリオと少し遊ばれていたのが嬉しかった。

 また、フリー台代わりにとARMS、スト2、ポッ拳といろいろソフトも持ってきたところ、プレイする方が多く、そこそこ好評であった。ストリートファイターをプレイしていたのはやはりハイスコアガールアニメ化の影響もあるのだろうか。次回はモニターが多い空間で行う予定のため、サブ台として用意できると嬉しい。

 

〜〜〜総括〜〜〜

 選手としてガヤガヤとプレイし、フリー台を回るのがいつもの大会の楽しみであったが、こうして運営に側としてなんやかんやと手を回すのも面白い。

 次回の日付は告知されているが、またこうして楽しい会にできれば、と思う。


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ぼき

ゲームについて思うこと 2

 先日、Wikipediaをなんの気もなく眺めていると、「ゲーム」の記事にこんな記述を見つけた。

 

特にテレビゲームは「褒める装置」ともいわれる。

ゲーム - Wikipedia

 

 かなり納得がいく。マリオシリーズであればゴールすればファンファーレが鳴り花火が打ち上がる(無いこともある)。おなじみのメロディが聞こえることにより一つの達成感を得ることができるのだ。

 この画面上の効果により、「おめでとう!!!!!!このステージをクリアしました!!!!あんたはえらい!!!!!!」と盛大に祝われている気がする。ぼくらのような庶民が現実で走ったところで評価されることはない。出迎えてくれるのは精々筋肉痛である。

 この特徴が出るゲームの種類似としては音ゲーが大きいだろう。何度も譜面に挑戦するも伸びないスコアに苦しみつつ変なクセに悩みつつ。なんとか目標を達成したその先では筐体からの大きな歓声と大きく表示されたクリアランク(すごさレベル)が輝いている。この瞬間、例えようのない達成感と満足感に包まれるのだ。これがなんとも気持ちいい。

 音ゲーに限らず、レースゲーム、パズルゲームなどのスコアやタイムで自分を超えるゲームには、アスリートのようなストイックさが求められる(もちろん遊びたいように遊ぶのも良い)。ここからの開放もまた先述の気持ちよさにつながるのだろう。

 

 話を変える。

 

 唐突な自分語りをする。ぼくは大した取り柄のない人間である。大きな評価を得られたことはそうない。学校の集会で表彰される人間を眺めつつ適当に手を叩く人種だ。

 そんなぼくが先述のようなゲームと出会ってしまった。勉強よりも遥かに面白いくせに良い点数ならきっちりと相応の評価が返ってくる。テストは良い点であっても「まあ良かったね」で終わってしまう所、ゲームは拍手に歓声付きなのだ。これが欲しくてたまらない。

 

 よほど才能のある人間以外は、ゲームが最も褒めてくれる存在足り得るのではないだろうか。だからゲームで良いスコアを目指したいし、対戦ゲームなら目の前の敵を倒し、ゲーム外からも歓声を得たいと思ってしまうところがある。

 

 もしぼくが子供を育てる(ない)ことになったら(ならない)、ゲームに負けないくらい褒めて育ててあげたいものである。