お久しぶりです、あんかけです。今年入ってから何かに追われる日々が多かったので、メモは次から次へと溜まるのにこっちは何も書いていませんでした。メモする程度に思うことはままあるので脳みそが止まったわけではない、と思いたい。
文章検定を受けた
去年の11月とかだったか、「そんなに本気で勉強しなくてもいいけど絶妙に役に立たない資格試験」を受けようという話になり、友人と文章検定を受けることにした。級位は準二級。
漢検のあそこが実施しているので知名度による権威がある。そして難易度は準二級なら日本語と現代文ができればまあまあ戦える程度。気になる人はサイトに出題例があるのでそれを見ましょう。
問題は"てにおは"とか敬語とか段落の意味とか。半分以上はほぼ選択式だが、一番最後の大問は「電車やバスなどでは必ず席を譲るべきか」くらいの問題について、肯定・否定の立場で原稿用紙1枚分くらいの論述をする。これが面倒。段落ごとに、フォーマットに則った書き方をしなければならない。作文テーマが「好きにしろや」と返したくなるほど本当にどうでもいいために、作文力よりも己の道徳心や思想がどれほど生活に影響を与えているかがキモになっている。
まあ受けるからには勉強することにして、教材として公式テキストと過去問と解説問題集みたいなのを買った。結局これは過去問だけでよかった。日本で、日本語で義務教育を終えたなら過去問を見つつインターネットで敬語だの調べ物したほうが安い。効率は知らん。
とはいえ、自分がどうでもいい文章を書いているのは皆さんご存知の通りである。そのどうでもよさをいかに正しい日本語で綴れるかを訓練すれば対策になった。
一緒に受けた友人と文章を見せ合って「お前にはレトリックが足りない」だの「それは代案を出しただけで反論じゃない」だのとダメ出しをして読める文に仕上げることをした。これがまあまあ良かった。答えが一つでないうえに、自分では高得点と評価しにくいのは改善の道のりが見えないせいで難しい。(後にそれを実感する)
結局、合格したらしい。終わってみるとなんとなく試験っぽくない。学生の頃の国語のテストで赤点回避できた、程度の感想である。元々それくらいの力があって、それを証明しただけの試験になってしまったからだろう。
文章検定のテキストには「なんのために受験するか」について「人の気持ちがわかるようになりたい人向け」などと書いてあったが、これを勉強して気持ちがわかるかというと多分そんなことはない。むしろ、敬語と構成を学んだことにより、文章の些細なトゲをつまんで勝手に傷つくお気持ちモンスターを回避する手法がわかるかもしれない。
国語の読解を楽しめて、ちょっとした自己肯定感とそれなりの文を書ける証明を得た安心感が欲しい方におすすめ。使ったテキストはめちゃくちゃキレイなので欲しい人はご連絡ください。300円で売ります。
雪の中、薬のために猛ダッシュ(天然俳句)
2月の中頃?まあまあ雪が降っている中、病院に行かなければならなかった。前回予約から時間が経ったせいで予備の薬(積もった飲み忘れ)も底が見えていた。
なんとか間に合うべく努力したものの、出発時刻が遅れる。そのまま大混雑の電車に乗るも電車は止まり。とりあえず動くかわからない電車に乗っているよりは動きつつ目的地まで走ってくれそうな電車に乗り換え。これが間違いだった。
全く乗ったことのない路線が知っている駅名に停まるからと飛びこんではいけない。それは赤の他人である。どうしようもないままGoogleMAPの現在地が意味のわからん方向へ進むのを眺めるしかできない。仕方がないので、また別の駅までの最短距離を調べて雪の中ダッシュすることにした。
もっと体力がある頃は余裕だった気がする距離もおっさんになりなかなか苦しい。なんとか駅について掲示板を見るとなんとか間に合いそうな電車が向こうからやってくるところ。もう少し頑張って改札を抜けるとそこにはホームドアの閉まる瞬間が。なぜこの極寒の中でクソほど汗をかいてここまで来たのか……。
元はと言えば出発で遅れた理由もやり忘れたことがあったからで、電車で乗り換えたのは目処を立てず"とりあえず"で降りたからで、電車の時間を見て無理な段階でペースを変えれば良くて、しかも走る理由が「それなりに日常を過ごせるようになる薬を貰いに行くため」という自分詰め合わせのものだった。ちょっと泣いた。
今更ながら
最近H・G・ウェルズの「タイムマシン」を読んだ。時間移動の概念の先駆者らしいが、タイムマシンそのものの話よりも飛んだ先の話がメインで驚いた。書き物の題材としては仕組みがどうのこうのというよりも旅行記の方が面白くしあげられそうなのは予想できるため、当然といえば当然。
確か「タイムマシン」の中に説明があったが、時間旅行はX,Y,Zの座標に加えて時間の値が必要となる。東京都千代田区千代田1-1-1も1900年と2024年のものがあるじゃん、というやつ。自分の初めてのこの四座標タイムマシン概念は多分ドラえもんで、そこのなんらかの説明のおかげでなんとなくは理解していたつもりである。長編版のび太の恐竜はハンターにタイムマシンの空間移動能力を壊されたせいでまだ隆起していない日本列島の野比家(ののび太の机の引き出し)を目指すことになった筋書きもある。
それを知ったあんかけ少年は「時間軸ってのが三次元座標系にぶっ刺さって四次元になるなら四次元はどう表現するんだ」と思っていた。たまに宇宙ヤバイみたいな本を読んでみたりするものの、ワームホールがどうとか超ひも理論がどうとかよくわからない話が飛んできて挫折した。結局、本か先生か「一次元のインクの染み(点)を二次元の紙に描いて、その紙を重ねて三次元の立方体を作ったとて、染みは染みでしかないように、上の次元は完全に表現できない」みたいな説明を得て一旦納得した。
「タイムマシン」以外の時間旅行解説書*1を読みつつその辺りの話を思い出しながら、ふと浮かんだのが、「時間を第四の軸として図表に描くならシークバーでは?」ということ。既存のXYZ座標系の下にYouTubeとかニコニコで再生時間とともに右に進んでいくアレ。
小さい頃はあまりメジャーでなかった故に広まっていない概念。パワポとかにはあったのか?とにかく、映像の中の住人(自分たち)からは正しく認識できない*2けれども、外から見たら存在していて、"そこ"を表すのに必要なパラメータ。これ小さい頃に図で欲しかったな〜〜!と思う。
物理方面でなくデザインの進歩と普及によって理解できた人が増えた。今の子供向けの宇宙ヤバイ本はどう描いているのか。歴史の教科書が変わるように、冥王星が教科書に載ってないとか想像するとちょっとワクワクする。今度図書館に行ったら児童用書籍を漁りたい。
思うやつ
生活に変化がない。3ヶ月おきぐらいに飽きが来る。とてつもなくデカい飽きが。
(起床→カス労働→餌→生活→ゲーム→睡眠)×5→(起床→生→睡眠)→最初 のサイクルがもう飽きた。ゲームは飽きない。カス労働をサイクルから抜きたい。
少し前は労働が苦でない人に囲まれてしまっていたため、勘違いをしていたがどうやら世の中そうでもないらしい。今は「やる気ないですが、金のためにやることはやってます」の人が多いところにいる。環境というか立ち位置の違いだろうか。
生活費とゲームするための金だけよこしてほっといてくれ〜。税金とか経済を回すために生かすなら働かせるのをやめて欲しい。ほとんど生きたいと思ってない人間を労働のために生かすのは牧場より酷いのでは?
死にたい理由はいくつかあるが生きる理由は思いつかなくて、死なない理由は親族が困るのと痛そうくらいの明確なもので、生きたくない理由は多い。よって生はやめた方が良い、と結論が出そう。
冒頭の生きる事の変化を起こして飽きを解決しようにも、解決できるだけの人生を積み重ねていないので、一気に持ち越せる死は変化とともに以降の悩みを解決できる手段の一つとして持ち続ける。
人類はもっと憂鬱であれ。