あんかけが書く

かきたいことをかきます。

かく話

 今日、マリオの映画見てから公園行って散歩して15kmくらい歩いた。15km。マラソンの1/3。アホ。

 

 散歩の途中に公園で絵を描いてるおじいさんを見かけた。木とキャンバスに対して交互ににらめっこ。まあまあな人の往来もある中で絵を描くとは、このじいさんやるなと思いながら通りすがりにちらっと見る。水彩っぽい絵の具で木のウロを一生懸命描いている途中らしい。筆で微妙に色の違う縦線を使って陰影の表現しているようだ。芸術というのがわからんのでそういう手法もあるんだ程度に思った。

 自分は絵について大の不得意で、中学生になって美術の授業が嫌すぎて泣いたことがある。描く事が嫌すぎて泣いたのと、なんとか完成した(完成していなかった気もする)それを発表したくなさ過ぎて泣くという計2回泣くくらい嫌だった。それくらいには描けない。成績表の実技4教科はそれと音痴と運動音痴と教員との相性で平均が2.7だった。紙面で救済されたのか1は免れたらしい。

 

 絵を描く話に戻って。今思えば図工でも美術でも、授業なる形態で絵を描くことが無理だったのではないかと思った。線を引いてウンウン頷くのもできなくはない。が、そもそも何を描きたいかの段階から思い浮かばないのでダメだった。思いついても練習をしていないので線を引けずにまた泣いてしまう気がする。

 どちらかというとあるものの写生の方が好み。DBHの頭の方のマーカスみたいな描き方ができればなあと思う。3Dプリンタで組み立てるように、塗料を置くイメージ。

youtu.be

 

 存在しないものを作るのにはAIでいい(よくはない)けど、存在するものを写真ではないものには見たまま出力するには描くしかないという。目と手の関連付けと知識が必要になると考えるだけでめまいがする。

 

 その点文章は気楽。普段使っている言葉を並べると意味が伝わる。いやそんなことはなかった。ただでさえ最近の自分の文章は散らかり気味。今までどうやって書いていたか思い出せない。思ったことがまとまらない。

 そんな中これを読んだ。ちなみにここ数年Youtubeチャンネルの方のオモコロを見ている。匿ラもそこそこ。

omocoro.jp

 考えを出すってこういう文章でいいんだよな~。しかもこれ読書感想文として書いている。一番最初に始めた理由のあの読書感想文。感じたことが素晴らしいのはさておいても、まとまってなかろうと思ったことを自分の表現でそのまま書いていいんだと思った。時と場合によっては出すと怒られるのはさておいて。「武器になる気持ちとエピソードを書いて戦え」と言った挙句、ダメ出しもする授業ってやつが悪いんじゃないか?

 

 今日見たじいさんは、出力手段が絵であったルートの自分だったかもしれない。人に見られる場所で絵を描いて、うまく自分の力で完成させたことに満足するのだろう。そして、今の自分が何か思ったことを出力する手段は文章である。頭からはみ出たものをTwitterに晒しつつ、まとまったらここに書いていくのは公園での絵描きに似ている気がした。

 気持ちを伝えるための語彙を本なりで仕入れつつ、これからも気長に"あんかけが書く"は続けていく。5年前から書いてる話は少し変わりましたが、読んでくれてる人、これからもよろしくお願いします。本の話は途中になってます。