あんかけが書く

かきたいことをかきます。

58つめのすきなもの 「ほん」

 すきなものが「本」というのは少し違和感がある。「本がすきだ」と言う大多数の人は本というオブジェクトがすきなわけではない。いくらかの層に書かれた記号を目に入れ、頭に入れ、心を動かす行為を「すき」と言っている。その行為は大抵読書と呼ばれる。本当に本が好きな人は読書だけでなく製本とか装丁まで嬉々として語るような人ではなかろうか。

 というわけで、今回は前にちょっと挙げた本に付随する行為の話。"読む"が多いので分けた。

 

 

買う

読む

覚える

本の読み方の話

本の分類の話

本を買う話

本を読む場所の話

 

並べる

 前回の小ネタのとき、本棚の写真をあげた。

 長らく使ってきた本棚(右側)を飛び出し、オタク物品置きのアルミラックに侵食した本たちは床にもコロニーを形成しつつあった。文字通り積まれているから手に取れないのが問題だとして、先代の2倍サイズの本棚(左側)を買ってしまった。初代本棚を処分しようとしたが、まだサブとしてせねばならないくらいあるので使い続けることにした。

 

 せっかく本を並べる作業なので、凝ることにした。大体こんな感じ。(リアル本棚を見てください)

bookmeter.com

 文脈棚というほどではないけれど連想ゲームをしつつ楽しい並びになるようにしたつもりではある。リアル本棚の14段のうち、5段くらいはゲーム関連になった。他の棚も含めて少し細かい内訳をスプレッドシートの円グラフにした。

何?

 自分が良く出たグラフな気がする。小説も10年前から連れ歩く本が大半であるおかげで、まあまあの割合を保ってくれている。小説の内訳は星新一など短編と米澤穂信入間人間とハヤカワSF文庫とミステリがちょっととその他。並びを見るとなんとなく偏屈な印象がある。

 そして平然と並ぶ「MTG」「CD」。MTGデッキは空きがあるからと適当に突っ込んだ。今では余裕が減ってきてオタク棚へ移し替えそうか悩んでいる。CDは本棚を組み立てるときにどう調整してもCDケースくらいの高さを残すことになってしまい、諦めて並べることにした。beatmaniaⅡDX Super Best Boxとボルテのサントラで半分くらい持っていかれたが、満足している。

 空きは減りつつも2,3年に1回くらい本を売るおかげで、本が増えながらも濃厚な今の自分が残っている。本を読まずとも、そこに本があることが大事なのだ。朝起きて「化物語(下)」と目が合う。ずっと自分を自分にしてくれているものが忘れない場所にある。これのおかげで半分狂わずにいられている気がする。

 

 自分もそうだが、本棚に本を詰めるような人間の本棚は、それを作った人間をそのまま表すようで見て面白い。並んだタイトルよりも何をどう並べているのかが面白いポイントだ。そうそう他人の本棚は見ることはないが、遊びに行ったりdiscordで本棚晒す時に見る。バカでかい本棚10台くらい並べてミチミチに漫画単行本とハードカバー並べてる奴や本棚の上に平積みされている方が"濃い"ラインナップの奴とか。

  みなさんの本棚の写真もお待ちしています。皆さんの脳みそをのぞき見したいので。

 

積む

 これだけ本棚にありながら、ほとんど消化できていない。毎日本を読む習慣があるわけではない。かといって週末とかに読むわけでもない。それなのに次から次へと買うせいで積読が増える。明らかにoutに対してinが多すぎる。

 積読の山はいつもいる机にある。10冊ほどが石積みで出来た塔のようにそびえ立っている。かろうじて文庫本と新書とハードカバーがピラミッドを構成してくれている。カードゲームをする友人の台詞、「紙は紙を呼ぶ」を体現する存在だ。

 しかも、新しい本がありながら読んだことのある本を消化する。積読の山に買った本を置いた後、わざわざ本棚におもむき、本を手に取る。何をしている?読む本ならそこにあるのに。

 

 積む(物理)の良くない点はスタック形式であること。当然の摂理で、上に積んであるものが取りやすい。それに加えて眼の前の塔は下の方がまあでかいハードカバーである。今、その役割を担っているのはこれだった。

 まあまあでかい。ままま上から消化しましょう、となるかというとテッペンにはこいつがいる。

 ちょっと重い。塔の素材になる前に読むべきだったと後悔している。

 

 とりあえずの自己流消化術として、移動中用の本を読み終える度に次の本をタワーからひっつかみ、カバーをかけて本にぶちこむ。電車の中ではエス語の勉強くらいしかできない(TwitterはR18絵が毎秒流れる)ため、本を読むようになる。今読んでいる本*1もそこそこ重たいとは思うが、そのうち読み切れるはず。

 習慣付いたかはわからない。買うことを我慢できないのも悪い。積読こそが完全な読書術である*2らしいのでしばらくは安心しておく。

 

 

買う

 積むなら買うなよと思うが、ふらっと寄った本屋で買ってしまう。本屋に行くなよと言われるが、休日の貴重な選択肢が減るのは勘弁。じゃあ図書館に、とも思うが本を借りると「読んで」「期日までに図書館に行って」「返す」をしなければならない。図書館には行くが、気分で本を取るせいで読みたい本を読まないことが多々ある。

 本屋に行くと「欲しい本を買っておしまい」のはずが、レジに行く前には「欲しくなりたくなる本を探す」という謎の状態になってしまう。消費社会に踊らされる哀れな民衆の一人。結局、目的の本を買うついでに近くの棚を覗き見して欲に負けている。

 本屋は「買わせる」という圧があるせいか、で図書館より本が魅力的に見える。平積みコーナーの手書きポップも全部見てしまう。大きい本屋だとイチオシコーナーが存在するところも嬉しい。この前にこの本の愛を方眼紙いっぱいに語る展示コーナーがあり、つい買ってしまった。最悪な気分をありがとうございます。

 

 

 本屋は「地元」と呼べる空間があると長く楽しめる。地元の本屋、という意味ではなく昔から見慣れている出版社、ジャンルのコーナーを指す。自分で言うなら新潮文庫。全体的に淡い単色に黒文字の背表紙が映えていて本屋に来た感じがする。帯を見つつ新潮文庫の100冊*3を眺めたり、いつもの黄緑色の並びから手持ちにないものを探すなど。

 

 大きく変化があることはないけれど、大体何か変わっているのが楽しい。

 最近はハヤカワ文庫にも行くようになった。元々「華氏451度」を持っていたところに、「天の光はすべて星」*4、「カエアンの聖衣」を買ってからいきなり増殖した。オタクをしているとどこかで見たことがあるタイトルが並んでいる。原文として知っておくかと手に取ると急に増えてしまう。

 棚としてみると全体的に黒かったり薄水色が並んで、その横に真っ赤なアガサ・クリスティが並んでいる。本当にこの色の感じは大抵の本屋でも同じなので見てほしい。なかなか特徴的なカラーリングでそうタイトルも変わらないおかげで始点にもしやすい。惹かれた表紙を手にとって見てほしい。

 

 ハードカバーはアテと余裕がある時くらいにしか手が出ない。本が高い。文庫本ですら15年前本と比べても書いてある値段が違う。先ほど挙げた未来いそっぷを見ると今がAmazonで737円、昔がこれ。


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 税抜476円。税込でも当時の消費税が5%なので500円。1.5倍くらいになってしまった。ちょっと機嫌が良い時でもないと手が伸びなくなるのもわかる。

 

 本屋の話が大半になった気がする。

 

 まとめ。本屋に行って歩きましょう。Amazonのリンクは表紙見る以上に使わなくていいので本屋に向かいましょう。お金を出さねば本屋は滅びるので。

 

知る

 ちょっと本の話からそれる。友人のブログを紹介。エス*5を勉強するきっかけをくれたのが彼。この中の教養の書からレファレンスサービスのくだりに出てくるのが自分。

「教養」と「劣等感」と「何者かになる」こと - ダンクが考えていること

 自分が教養について興味を持った理由は、モノを楽しむ前提知識が欲しいから。これは前に書いた。他には知りたいエス語の勉強で何に向かっているのかとか、そもそも自分は何を好むのかとか、自分の傾向を掴むための手段としてだと思う。自分の知的好奇心をくすぐる学問分野の地図みたいなものがあれば、きっと自分の知らない島に飛び込めるきっかけになる。

 そこでレファレンスサービスを使った。紹介された本は先ほどの記事にある「学問のしくみ事典」と「諸学の体系」。「体系」はサービス利用した図書館で読んだ。「事典」は図書館を巡るも読む機会に恵まれず、思い切って購入。

 

 

 レファレンスサービスですごいと思ったところは、質問文がまあまあ曖昧でも良い本を教えてもらえたところ。「学問の分類と、それがどういったものであるかの解説がなされている本が読みたい」はかなり大雑把な問いかけな気がする。返信に挙げられた「体系」は分類と理由、「事典」は解説をする本であり、回答としてはとても適切だと思う。それの補足に大学の学科分類資料もありがたい。これらの回答に自分は満足している。知ってどうするかはまた役立てる時に考える。

 この世の中で大抵のことは本かネットに書かれている(真偽はともかく)が、それがどこにあるかはわからない。それを知るために文字を読んでいるかもしれない。小説にしても、ミステリーが何かを知るにはミステリーを読まねばならない。自分はその入り口が江戸川乱歩だったりする。多分小学校の図書館の少年探偵団が最初。こうして広がっていく地図を後から眺めるのがちょっと楽しい。マインクラフトでも同じことをしている。

 こうして分類913の棚を出て002の棚へ旅立つのだ。002がそういう棚であると手引きされ、知ったから通うようになる。

 

 とはいうものの、そこの本が読めるようになったからと読んだとて、知ったものは身に染みるまで時間がかかる。話を聞いて内容が手持ちの知識と関連付けられるとわかるには慣れなければならない。公式を聞いただけで問題は解けない。

 

読む

 などなど上でいろいろ書いておきながらそこまで本を読む人ではない。結局通勤と先が気になるとき以上に読むことがない。勝手な印象で読書家、というのはどんな娯楽よりも本を読むような人のための言葉だと思う。だからそれ以外をする自分は読書家ではない。ちょっとテキストがすきな人、くらいである。

 そう、たまに自分は文字と図の情報を食べているだけになる。本について「読む」は2の動作をするが、自分は「文字や文章、図などを見て、その意味・内容を頭にとどめる」になる。

「読む」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書

 

 感覚としては頭に文字の塊がそのまま収納されている。しかも収納した文字列は整頓されていない。文の単語がそのまま床に投げ捨てられる。小説はそんな状態でも筋書きと場面を頭に浮かべつつ進められるものの、ここ最近読むようになった概念の本を読むと無理になる。キーとなる単語は見覚えがあるけれど何かよくわかっていないので5pほど戻ってやり直す。これを定期的に繰り返す。こう書き並べるとアホくさくてやっていられない。

 果たしてこの状態は読んでいると呼べるのか。小説もinterestingでfunnyな瞬間は覚えているし、章の結論で順番に他の本で知った・わかった概念と繋がっていく感覚はあるのでまあまあ正当な読書体験はしているはずなのだが。過程を飛ばして結果を溜める読書ゾンビとでも呼びたい状態の人はいるのではなかろうか。概念の本を読んで初めて自分が読書ゾンビをやっていたことに気が付いた。

 概念の本は今まで知らなかった言葉がさも当然のように出てくるため、毎回調べて読んでいる。最近はこの本で「アプリオリ」を知り、その説明が全く理解できないので1日の本を読む時間が説明の理解に消えた。意味は分からなくてもなんとなくで進むより、止まって理解しなおすことを思い出せたのかもしれない。

 

 

 

 この辺でしめとく。本の話は思いついたらいくらでもかけそう。

 

 実はこの記事、書き始めから80日たったらしい。その間に別のところで台本書いて動画作るなどした*6ので忙しかった。今度は小ネタでスト6とレインコードの話しますかね。では。

*1:セガvs任天堂

*2:そういうタイトルの本がある、読んだことはない

*3:毎年変わっているのを書きながら調べて知った

*4:夢を受け継ぐ話としてアレの原題によく合う

*5:試験は受かりました

*6:身内向けなので公開してない