あんかけが書く

かきたいことをかきます。

ゲームについて思うこと 14 『そういう人だった』

 多分前にも同じような内容を書いた。けど書きたいので書く。
 

 今となってはチンパンジーだが、中学生くらいまではテストの成績が良かった。どの解答用紙にもおおよそ9割の値が書いてある。減点の理由は字の汚さとか計算ミスとか単位間違い。田舎の公立とはいえそこそこの人数で人間の指の本数より上の順位に入るくらいだった。とはいえ、プリントを無くしたり宿題をやらなかったり先生に気に入られることがなかったおかげで通知表の数字はプラスマイナスゼロの平凡だった。

 義務教育は普通の人間なら聞きゃわかるだろとしか思ってない。実際、授業だけ真面目に聞いておけばなんとでもなった。だから中学時代に平均点を聞いて驚いたのは「授業で何を聞いてたんだ」ということだった。親戚から「うちの子に勉強を教えてやってくれ」と言われて「学校に行かせてあげればいいと思う」と返したら微妙な空気になった。
 中学校を卒業してからは何もわかっていない。最初の授業でパズドラしてたら三角関数が出てきて、そこからは覚えてない。
 学校の勉強が好きになれないのは評価のシステムが合っていないからだと思う。習慣的に勉強を続けて大きく評価されるのは2ヶ月先の中間・期末テスト。12時間後までしか考えられない自分にとって2ヶ月先は眼中にない。12時間前になってようやく事態に気が付き、そうなんだと睡眠する。それなりに対策できるようになったのは中学出て3年くらい経ってから。ようやく12時間寝ずに勉強して試験をなんとかするようになった。まだ2ヶ月先は見えない。
 
 中学の話を並べるなら、部活の話もする。運動部でスポーツっぽいことをしていたが、そもそも運動はからきしである。四肢と胴体とかいうインターフェースがゴミすぎてスポーツが下手。おかげで同部員からボロクソに言われた。それ以来、運動は忌み嫌っている。スポーツはわかるものなら見て楽しめるが、やりたくはない。自分の健康のための運動はDDRとmaimaiでまかなっている。
 
 話が変わる。少し前に、そこまでゲーム民ではない友人からこう言われた。
「今やってるソレ*1、君の嫌いな体育会系と何にも変わらないと思うけどね。その動き方探すのも試行錯誤の積み重ねだし、splatoonみたいなのは周りとの連携考えなきゃいけないし。ゲームやってる人間も大概だと思うわ。」
 確かに当たり前の話で、ゲームもやらなければ上達しないものである。思いもしなかった考え方にハッとし、同時になぜ自分は有益なものにその努力リソースを回せなかったのかと後悔した。言われてずっと考えていたが、最近それに思うところがあった。
 
 ゲームは楽しいと思えるように作られており、やる側も楽しいと思えるものしかやっていないので楽しい。対して、勉強も運動も別に楽しめるようにしているわけではない。義務教育は最低限の常識のため、運動(部活)はやりたい人がやるためにあるものだ。自分が投げてきたゲームと同じく、嫌ならそれらも投げてしまえばよかった。勉強はともかく、部活ならやめられる。逆に、ゲームが楽しくないならゲームをやめて自分の楽しいと思えることをすればいい。
 そしてゲームは課題提供→試行錯誤→解決のサイクルがそれなりに早い。で、解決した時が最高に気持ちいい。何度か出した表現を使い回すならゲーム機はめちゃくちゃ褒めてくれる。連続キルでボイスがついたりだとかボスを撃破すれば盛大に敵が爆発するだとか、わかりやすく「成功」を教えてくれる。音ゲーは結構わかりやすい。ボルテなら
 
...(曲終わり)
COMP!(チュウーン)
~♪(リザルトテーマ曲)
しゅい〜〜〜ん(クリアランク枠明滅)
ずがーん!!!ずがーん!!!!!ずがーん!!!!!!!!!!(SSS)(筐体ビッカビカ)(ワー!!!!(謎の歓声))
てゅわ〜〜〜〜〜ん(リザルト画面)
~♪(落ち着く)
 
ここまでする。パチンコの当たりよりちょっと弱いくらいの反応があるのだ。達成時のエフェクトがもうすごい。現実と比較にならない。テスト用紙から歓声が沸くこともなければ光るわけでもない。しかもそれらの反応はいくらでも得られる。こうなれば気持ちよくなり放題のゲームをしてしまう。
 
 
 
 ぼくは人生でこの2つ以外、特にやることがなかったので、おっさんになってもいまだに楽しいゲームを続けているというわけだ。
 最近仕事の都合で勉強をしなければならないことが増えたが、それなりに楽しくやっている。もう少し早めに努力のサイクルに気がつけられていればと思うかぎりだ。もっとも、気がついたとしても楽しいゲームをやり続けるだろうだけれど。
 ゲーセン行ってきます。

*1:ウルⅡザンギのスクリュー間合いみたりコンボ練習してた