あんかけが書く

かきたいことをかきます。

最近の小ネタ 11

 11月が暑すぎてあと50日そこらで年明けとなる実感がない。ゲロ吐く暑さの8月に比べれば暑くはないけれど、11月にあって欲しい気温ではない。なにより日中がちょっとした夏日なのに、夜が湿度の低いひんやり風なのも困る。ジジイになってきて寒暖差が苦しい。本物のジジイはどう生きているのだろうか。

 そんな暑い中、最近したお出かけの話を書いておく。

 

見る専は見てない

 この前、身内Discordにて某女性会話の配信が唐突に始まってしまった。5分くらい見たところで「配信を見てはいけないヤツ」と感じ、通話から抜け、Steamのストアページを見て、似ているゲームの並びに即買い要素があったため、即購入。ゲームそのものの感想は先駆者が偉大すぎてちょっと弱いが、発想は面白い。エンディング2つ回収まではやった。

 ゲーム自体はどうでも良くて*1、話の本筋は序盤をちらっと見たときと終わり際で鯖唯一のV民が「Vの配信で見た」と言っていたのでそこの話。

 

 ニコニコを見ていた世代なので、ゲーム動画には的外れなコメントに対して「お前エアプだろ」「動画勢は黙っとけ」とまあ治安の悪いコメントをつけられているのを覚えている。ポケモン個体値10Vくらいのネタかわからないコメントはそこそこある記憶。実際にプレイヤーしていない人間対しては無知を晒し叩かれるものと認識していた。

 どうやら近年はそうでないらしい。スト6の大会の実況だか解説だかコメンテーターだかの芸人が動画勢について言及していて、まあまあイジりも交えながら大会を見る話に繋げていた。公式サイドも動画勢を認識しつつ、見ながら楽しんでもらう方向にシフトしている。確かに、SFLは懇切丁寧にシステムの話の解説を入れている。細かなテクニックならまだしも、ゲーム中で説明のあるシステムの話である。明らかにやっていない人向けの話。"e"の流れを汲むなら、観客も楽しめるようにという方針だろう。あの日の道頓堀に野球経験者が何割いるかはわからないが、勝った負けたにスーパープレイで歓喜できるのは、ルールと身体能力のすごさが理解したうえで、ひいきのチームがそれをしたからなのは間違いない。ゲームはスポーツに寄せに行っている。

 ユーザーとしての格ゲーの民も新規を囲い込まねば対戦相手が減ってしまうことをようやく理解し、新規に優しい風潮を作る様子をいくらか観測した。

 

 で、ここで話を「配信で見た」に戻す。

 

 某女性会話、配信で見ると、味付けが変わって、特定の単語を発する配信者に対しコメントで楽しむまた別のコンテンツになる。プレイヤーと、その観客に目線が映る。

 これが某果物ゲームならまだいいと思っている。あちらはシナリオが存在しない。ゲームの核はそこにない。しかし、こちらはシナリオの要素がデカい。そこじゃなくて単語の読み上げと声出してる様子が見たいならそれはもうゲーム無くてよくないか?しかも面白いところを食べてしまった残りを改めて自分で買い直して、見た人間は遊ぶのか?自分はできるだけプレイしてから見るか、見たら買うかはしているが、大多数はそうしないことを考えると、興行として制作者サイドに還元されない分、"e"よりよろしくないと思う。

 正直、自分も少し前にホラゲをやるプロゲーマーを見てキャッキャしていたのでとやかく言えないものの、もう少し制作者に優しいシステムができてほしい。

 

 

神保町古本祭りに行った

第63回東京名物 神田古本まつり - BOOKTOWNじんぼう

 これ。初日と最終日に行ってきた。きっかけはたまたまXで見たというだけ。世の中に"本"ってめーちゃめちゃある。人と本なら本の方が多いくらいには本が多いと思う。

 朝から巡って

酒と

カレーを堪能した。最高。

 

……………。

 

 

本題の本はこれ。

1日目

2日目

 胡乱な本から欲しかった学習本までかなり割安に買えた。辞典も版が古いのか500円と超お得。手持ちの小話集を翻訳しながら読むのにちょうどいい。

 ルービックキューブは何故か売ってるブースがあり、展示してあるものを揃えたら割引してもらえた。中学の頃に覚えたのがここでアドになるとは。MTGAのコンボが始まったときの手慰みにちょうどいい。

 

 青空市で良いなと思ったのは、店ごとのジャンルがわかりやすいようなラインナップだったこと。図書館の分類ほどでないにしろ、閉架行きになっていそうな読みたい本の周りの本を手にとって自分のものにできる状態になっていた。そうなると横のやつも…と会計に持っていってしまう。祭りはまた来年になるが、神保町はたまに行ってくすみすぎていない古本を漁ろうと思う。

 そして今回の買い物などで積読がまた15冊とかになった。ほぼ毎日移動中や微妙にやる気にならないときに読んではいるものの、かなり先が長い。おまけに本棚之容量にも限界がきはじめた。一旦百均で本ケース的なものを買って茶を濁している。本当に無理になったらフリーマーケットに出品したい。

 ……それを建前に本を買っているところもあるのかと思う今日このごろ。

 

ない話がなくなる話

 「他人の結婚式で大暴れしてぇ〜〜〜」と言っていたら関係のある人間が3人ほど結婚していた。結婚式は挙げてないらしい。そのうちやるとするなら実現させたい。

 気がついたら「知っている人間が結婚する」というありえないイベントが発生している。こっちに来るまでは宝くじで10万円当てるくらい微妙な確率だと思っていたのが、数年でコレである。時間はたしかに動いている。

 生きていると想定もしなかったイベントが起きてしまう。そもそも進学や就職だってないものとして生きていた。な~んにもしていないせいで人生のイベントは転職と(自他の)葬式しかない。

 昔は「俺が働く?ありえんだろ」と思っていた*2のに、社会に抗えず労働している。ないと思ったことほど実現していく。この先、「知っている人間が死んだら焼香の灰を信長の如く投げてやる」と言っているものも実現してしまうかもしれない。

 ない話だから、とテキトーなことを言い続けたものの、ない話がなくなっていく感覚は少し寂しくておもしろの幅が狭まっていく。表現規制によってどぎつくて強烈な文が見当たらなくなっていくのに近い。

 

 一方自分は何もしないまま、気がついたら"学生"と呼ばれるものになって、気がついたらおっさんになって、そのうち一息ついてるうちに墓に入っている。なにか起こすには決断をせねばならないが、それが億劫で面倒くさくて、確実に楽しいことばかりしている。実に怠惰である。この先も怠惰に生きるには、怠惰仲間を募集しなければならない。

 前に人生の実績を聞いたこともあるけれど、それを順に消化している感覚がある。金もかからず一人でやってみたいことはとりあえずやる。今の場所はそれが達成できる。それができる環境にある。なにより幸せだと思う。怠惰仲間には一緒に実績解除をしてほしい。あれ、怠惰仲間ってパートナー的やつか?

 ただ、やっては満足していくのはオタクと同じく、コンテンツを消化していくだけであり、いつかは勢いも止まる。だからこれを書いている。自分が自分を忘れず、自分の満足いく存在とする理由にする。

 

 ベロ酔いしてたらなにもわからない文章になった。失礼した。

 

 

 明日また書く予定。よろしく。

*1:良くはない

*2:10才の頃からそうだった