あんかけが書く

かきたいことをかきます。

19つめのすき『柿の種』

 おやつというものに対してあまり記憶がない。幼少期はやたら菓子パンコーナーのドーナツを食べたがっていたらしいが、小学生の頃はあまりおやつを食べていない。そもそもおやつがいつもあるほど裕福でもなかったのかもしれない。

 そのせいか、母親が「おやつ食べよ」と言いながら出してくるものは大抵喜んで食べていた。なおかつ、おやつとして出されるものは煎餅だの歌舞伎揚げだのと若干ばーちゃんが食べそうなのもばかりだった。友人の家で食べたロッテのチョコパイに腰を抜かすほどにはおやつに対する感覚が鈍かった。恥ずかしながら2個くらい食べさせてもらったと思う。

 

 そんなぼくのおやつ事情はさておき、たまたま見つけたら買って食べるものはある。それが柿の種だ。

 稀に、よくわからない小売店で業務用サイズかと思うほどの量が売られている。柿ピーではなく柿の種だけ入っているものだ。買っては一ヶ月ほどかけてポリポリと食べているのだが、当然しける。しけった柿の種はあまりすきではない。捨てはしないのだが。

 タレがシミていてなおかつ「カリッ」とか「バリッ」と形容されるあの食感があるからこそ柿の種だと思う。それもあり、昔見たチョココーティングされた柿の種は食べたことがない。あれはどうなんだろうか。

 

 柿の種がすきな理由は柿の種そのものだけではない。家には亀田の柿の種がよく置いてあったが、その小袋の裏面に「けなげ組」という小ネタがあった。今ではなくなったそうだ。

けなげ組|亀田の柿の種スペシャルサイト|亀田製菓株式会社

小学生の頃のぼくはおやつとして出てきた柿の種を食べながらこれを読むのも一つの楽しみだった。あまり目立たない物が「俺も頑張ってるんやぞ」と愚痴を漏らすような内容だ。センスがあると思いつつ必ず読んでいた。そこそこの数食べたが100番の「あなた」を見たときに少しの感動と優しさを感じた。

 

 
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 そんなことを思い出しながら今夜は酒を飲む。

18つめのすき『休日』

 ぼくは「疲れる」ことそのものは嫌いじゃない。ただ、疲れる過程が問題なのだ。ランニング、長い階段を登る、重い荷物を運ぶ、DDRといった肉体的な疲労は嫌いではない。動作を始めるまでが面倒なだけだ。対して仕事や勉強、よく知らない人と話すという動作も精神的に疲れる。誰かに対して評価されるのだから頭を回して及第点を目指す。

 平日5日間はこれを繰り返す。

「忙しい、とは心(りっしんべん)を亡くすと書くのだ」

とはよく言ったものだ。仕事が忙しければ積み重なった任務を消化するだけのロボットになってしまう。ぼくとしてはそれは喜ばしいものではない。ほどよい休みがほしい。

 

 ぼくは金曜の夜からテンションが高まる。高まったテンションでゲーセンに行ってから麺を食うなどと豪遊する。この時点で気持ちが違う。「ぼくはすきなことしてやるぞ」と切り替わる。その日はゲームした後、普通に寝てしまう。

 そして目覚めて土曜日。今までやりたかったことをやる。引っ越すまでは近所のゲーセンだとかうまいラーメン屋だとか少し足を伸ばして出かけてみるとかをのんびりやっていた。今は近くに何があるのかを知るために散歩したり、朝食を買い足したり。その用事が済めば遠出してイベントを覗いたりする。もっとも、行く場所の多くはゲーセンなのだけど。

 こちらも歩くなどで疲れることは疲れるが質が違う。何かを得た代わりの疲れなのだ。土曜日の目的は楽しみ、気持ちを一新することだ。部屋に戻ってシャワーを浴び、「今日は悪くない一日だった」と心から言えれば100点を付ける。そしてまたゲームをする。

 

 日曜日。昼を過ぎるまでいかないが、起きるのは少し遅くなる。アイロンをかけ、掃除機を走らせる。あとは特に何もしない。昨日買ったマンガを読み進めたり、家計簿の帳尻を合わせたり。超インドアな一日だ。ぼくの部屋は枕元から手が届く範囲にすべての娯楽が揃っているため布団に入りながら時間が飛んでいく。

 

 余談だが、よくこういう布団から出ず寝ている人に対して批判的な人間もいる。ぼくがそういった方に言わせて頂きたいのは「休日だからすきにさせてくれ」だ。それが一番のリフレッシュ方法なのだ。ましてや本当に動けないほどの激務なのかもしれない。どこか行きたくなったら行くのでそれまですきにさせてあげてほしい。

 

 そして夜は飯を食い、風呂に入り明日のこととブログのネタを考える。今日は何を書こうかな。

 

最近のどうこう

 大都会に住み始めて半月ほど。めっきりツイート数も減り、死んでいるのではないかと思われそうである。まだまだなんのことはない、ただ忙しいだけなのだ。

 忙しいとまとめてしまえば簡単だがぼくの中には色々と思うところはある。「初めた頃の気持ちを忘れるべからず」とよく言われるならここに書いておくのも悪くないだろう。どうせ読み返すためのものだ。

 

 なんだかんだと都市に来て周りの人間を眺めながら過ごしてきた。田舎から出たぼくにはなにもわからない。何を考えても答えは出ない。

 

 この数日でたくさんの人を見た。若々しい新入社員、ありえない髪色に染めた外国人、しょぼくれたおっさん、泣き叫ぶ赤ん坊、それにキレかけるにーちゃん、ごつくていかついがキャラクターストラップをつけた可愛い一面のある男性。見るだけなら楽だ。ぼくからすれば所詮それらはNPCでモブキャラなのだ(ぼくが主人公というわけではないけれど)。何度か言ったがそんなモブは有象無象だ。面白い何かがなければ明日の朝には夢とともに忘れてしまう。

 それでも実際はモブじゃなくて一人の人間として生きているはずだ。さっき電車を降りたおっさんもあと30分もすれば家のドアを開いて嫁がいるのだろうし、そんな家族がいなくてもなにかしら未来の希望があって生きているのだ。そしてそのおっさんもぼくの倍ほど年月の積み重ねがある。薄っぺらいぼくよりおっさんは立派なのだ。

 ここまで考えて周りを見渡す。どこを見ても会社帰りのおっさんにおばさまだ。つまり、それだけ誰かの人生が転がっているのだ。人はそれなりに選択してすきに生きているはずだ。その選択がたくさんのどこかの誰かに行われていて、それで世の中が回っていると思うと怖くなる。

 

恐ろしいものだ。

 

 そしてぼくも外でいろいろする。会社に働くおっさん予備軍だ(もうおっさんかもしれない)。そこでぼくは会社の人にこんな質問をされた。

「あなたはこの会社で何をしたい?」

こんなの答えは決まっている。なにもしたくない。会社はぼくに金を払う組織で、ぼくは会社でなにかして過ごす。この「なにか」は楽であればあるほど良い。「書類を作る」よりも「書類を読む」ほうが楽だし、「書類を読む」よりも「書類を捨てる」ほうが楽なのだ。それを繰り返せば「なにもしない」に行き着く。なにもしないのだから苦の概念が入り込む余地はそうそうない。座っていれば金が入るならぼくは進んで座る。

 が、適当に答えなければならないので僕は答える。

「えーっと、仕事でなにかしたいというのはないのですけれど、給料でメガドライブとかPCエンジンとか昔のゲームハード買いたいですね」

当然、期待した答えと違うのだから質問者は微妙な顔をしていた。

 「え?…………じゃあ具体的に会社に貢献したいこととかはない?」

「うーーーーん………………………まだ現場見てないんでよくわかんないすね」

「………………」

「それなりにいうなら世界のどこかの誰かが何も悩まず過ごせるようなものに関わりたいですね」

「世の中の基礎作りですね、わかりました」

 そして質問者は別の良い答えを持つ人間を探しにどこかへ行った。

 

 ぼくにも本音と建前くらいはわかる。最初から後者を意見として出しておけば何も問題はなかった。それもわかる。わかってはいるけれど言いたくはなかった。大衆の前で「参った」と言わされるような苦しさがあった。仕事は金を稼ぐ手段であって目的ではない。そんな大層な理由はぼくにはない。

 別に否定されても構わない。仕事をする理由は人によるのは当たり前で、人生も無数にある。ぼくの考え方はあまり良くないと言われることもよくある。好きに言ってくれ。

 

 つくづく生きるのに向いてないと思う。

すきなもの番外編『みかん(後輩)』

 すきなものについてならば、時間の許す限りである程度の長さの文章を書くことはできる。逆に言えば、あまりすきではないものには大した文章は書けない。すきでないのだから知らないし知りたくない、となってネタも少なくなるのだろう。

 今回は本人から「お前のこと書いたし俺のこと書いて」と頼まれた。

あっさーという男 - lowestside’s diary

 頼み事は断れない性分なので適当に書いてやろう。

 

 そもそも知り合ったのは共通の知人を通してポッ拳やったことらしいがあまり覚えていない。ぼくはそれよりも文化祭でフレンチトーストの仕込みをやらされていたのを覚えている。クラスのやべー奴によく扱き使われていたかわいそうな奴だと思った。確かその時もそれで終わった。

 気がつけばTwitterでFFだった。後輩として初々しい様子で友人とのゲームに混ざりに来ていた。そこからの記憶はない。

 

 さらに時が経ち、今に至る。今では狂ったように叫びながらゲームをする毎日である。どうしてこうなってしまったのだろう。昔はもっと大人しかったのだが。

「まんげまんげまんげまんげまんげまんげ!!!!!!!!!んきー!!!!!!!」

こんなに叫ぶ人間でもなかった。何が悪いのだろう。

 

 ある友人曰く、

「あんかけが毒した」

 またある友人曰く、

「一緒にゲームし始めてからおかしくなった」

ぼくは悪くない。

 

 ただ、ぼくとしては愉快な仲間の一人だと思う。ゲームしながらあそこまで知性を下げられる人間は稀なうえ、楽しそうにゲームする奴はそういない。こいつも含めてぼくの周りにはお喋り、癇癪持ちに汚言症、チンパンジーだ。最高の環境だ。

 

 

 

 まだしばらくはこいつとかとゲームしてられたらいいな。

『ベヨネッタ』クリア

 3/20頃に買った『ベヨネッタ』(Switch版)を難易度Normalで一周クリアした。主にTVモードでプロコンを使いつつ、途中からは携帯モードでプレイした。ちまちまとやっていたためクリアまでは10日ほどかかった。

 

 このゲームの存在をいつから知っていたかはわからない。もう少し前にタイトルは何かで聞いていたが、調べたのはmaimaiに収録されていたテーマ曲「Mysterious Destiny」がきっかけだろう。ゆったりとした曲調とは裏腹に、「窓ふき」とも言われる特徴的な譜面。それと背景の眼鏡美人がぼくの目を引いた。調べて「ほーん、魔女が天使をボコるゲームなんか」と思い終わってしまった。

 それから何年か経ち、彼女は再度ぼくの前に現れた。スマブラへの参戦である。【スマブラ3DS・WiiU】ベヨネッタ参戦!! - YouTube

PVはかっこよかった。よくわからないワザを持ってきたうえに任天堂の天使とコラボしてくれたのだ。が、蓋を開けてみれば恐ろしい女だった。火力、即死、機動力…。そのあたりの話はまた別で記事ができそう(多分ある)なため、割愛。

 そしてこの度、「ベヨネッタ」はどんなゲームか知るためにプレイしてみた(単純に春休みの残りが暇というのもあった)。

 

 前置きはこのくらいだろう。ゲームのジャンルは3Dアクションだ。ストーリーは「500年ぶりに目覚めた魔女が記憶を取り戻すためにヨーロッパのある場所へ赴く」というものだ。

 ストーリー演出は映画調。コミカルな掛け合いからシリアスなシーンまでうまく演出されている。これらのムービーも各キャラクターの性格がよく出ており、面白い。ムービーからアクションパートへの切り替えもかなり自然で驚いた。

 随所にセガのゲームのオマージュも見られる。ゲーム好きは少し驚くかもしれない。

 

 アクションはなんとも爽快だ。パンチキックの2ボタンで多彩なコンボ技を出せる上に手足についた4丁拳銃で追撃ができる。コンボの締めには強力な一撃や魔界から悪魔の巨大な手足を出し敵を大きく吹き飛ばす。

 もちろん、敵も黙って殴られるわけではないため攻撃をしてくる。しかし、この攻撃も反撃のチャンスなのだ。ギリギリで避けることで周りの時間の進みが遅くなり、コンボが決めやすくなる。少し難しいが慣れると大人数相手に殴り続けられる。敵の攻撃に対し「避ける」行動がここまで大きな反撃のチャンスになるゲームはあまり無いのではないだろうか。

あんきも on Twitter: "おもしろいゲームや #Bayonetta #ベヨネッタ #NintendoSwitch… "

 

 大技も見逃せないポイントだ。回避などでたまるゲージを消費して放つ拷問器具を使った攻撃のトーチャーアタック、ボス戦のクライマックスの大魔獣召喚など。敵ごとに違う技を使い、どれもド派手に血飛沫を上げる。ゲージをためるまでが少し難しいが狙うだけの価値はある。道中の強い敵に対してトーチャーアタックで締めた時の気持ちよさは格別だ。

 

 ぼくが少ししんどいと思ったのはQTEだ。反応できない間隔の入力時間で「これを押せ!」と出されても押せないものは押せない。

 

 今年中に『3』が控えているこのシリーズ。初代作品としてプレイしてみたがとても面白かった。今月末に『2』を買おうかと考えている。