あんかけが書く

かきたいことをかきます。

天かすの話

 「〇〇の話」No.4。

 

 

 

 天かす(てんかす、天カス、天滓とも書く)とは、天ぷらを揚げる時に生じる揚げかす(天ぷらのカス)のことである。食品廃材として廃棄される一方、揚げ物と同様の風味、油のコク、食感があるため、他の料理の添え物や材料として利用されることもある。

天かす - Wikipedia

 

 ひょっとしたら地方によって天かすの定義が違うかもしれないので確認。要するに天ぷら作る時に周りの粉が剥がれて出るアレである。主成分は小麦粉。料理と呼べる料理はできないが、「料理中にできる副産物で全く別の食べ物に使われる」ものは天かすくらいじゃないかと思う。おからをカウントするかはわからないけど。

 ぼくは天ぷらとか揚げ物を自前で作らないせいで家にはそうそう見ない。天かすに世話になった時と言えば、金もなく限界な時に格安の天かすを見かけて卵かけご飯に入れたのと丼にしたくらい。天かすを卵とじにして和風だしでなんとかしたやつ。本当に限界の飯だったと思う。

 

 天かすの食べ方にはメインになるようなことはそんなにない。トッピングとか何かに混ぜるとかで使われるのが大半だと思う。たこ焼きとか冷ややっことかで使いそう。ぼくのやった限界丼は限界な人しかしないので除外。

 

 

 

 天かすについて何文字以上か書ける人おる???全国天かす協会所属の方とかに無限に天かすについて書ける人にお願いしたい。

留年生の話

 「〇〇の話」No.3。

 

 大学なりなんなりには、ある期限で規定単位を取得していない場合、学校側から「勉強してない罪」と、生徒をもう一年同じ学年にいさせるシステムがある。それが留年だ。

 ぼくの学校の留年率(体感)は2%くらいで、なかなか高い。ぼくは3年ほど留年に一向聴をかけた期間があったが、周りの友人の助けもあって無事ストレートで卒業できた*1。ありがとう。

 

 ぼくの学校は、このシステムにより生まれた留年生がよくいた。4月、新たな教室で談笑していると見慣れぬ顔が入ってくる。基本的に「誰?」の反応をするのだが、学外活動なりの繋がりで寄っていく同期がいる。そして周りはその流れで察する。

(今年の留年生がアナタなんですね…)

 周りが誰も知らないと距離感が掴めず、第一声の口調をどうするか悩む。気になって話しかけてみたいのに何から入れば良いかわからない。どうせこれから先はそれなりに長い*2のだから関係を結んで損は無いが、その一歩目が遠い。

 もっとも、そのまま次の年には消えていたり後輩になっている人もいる*3ため、そこまで考えなくても良いこともある。

 

 周りの留年生というのは、やたらとユニークな人が多く、良くも悪くも個性的であった。実験中にタバコ吸いにどっか行くやつとか隙あらば昼飯のパンを貰おうとするやつとかやべーオタクとか病みがちのやべーやつとか性癖のやべーやつとか勉強以外何でもできるやつとか「一生に留年しような…」と共に墜ちることを覚悟し合ったらぼくだけ進級して「すまん!進級した!」と煽りか謝罪かわからない文言を投げに行ったやつとか卒業したと思ったらまだ1年学生期間のやつとか。

 大体の人とは未だに関係がある。何かしら学生時代の友人と集まると1人か2人か3人いる。多い。ぼくの狭い交友関係から考えると割合は高い。なんだかんだ仲のいい友人の知能がアレだったり、友人の友人が留年生だったりする要因で周りの留年生率が高い。あの人たちも今では学生していたり働いていたりする。時間はそれなりに物事を解決してくれる。

 

 留年したからどうこうとは思ってないが、留年はしたくないものである。若い頃の1年をクソの掃き溜めスクールで過ごすのはもったいないのだ。

 今の自分もそこそこの期間虚無にしていたおかげで実質人生を留年、みたいなところもある。ぼくは留年より被害は小さいと思うがちょっと周りと人生の進捗を比べて憂鬱になることもあったのだろうか。その気持ちは当人しかわからない。

 

 ともかく、留年生のみなさま、これからもなかよくよろしくお願いします。

*1:システム的には進級もしてない

*2:閉鎖的な所だったので小学校より一緒にいる期間が長いこともある

*3:「〇〇先輩後輩」と呼ばれる

ちょっと不安

 主語がでかくて根拠に乏しいですが書きたいので書きます

 

 そもそも、私がへ遊びに行ったり、お手伝いをするのは「私が楽しいから」「人が集まることにより、界隈の発展のきっかけとなるから」である。私はそこまでゲームが上手いわけではないが、それでも楽しんでゲームをしている。なおかつ、対戦を後ろから眺めるというのもすきである。岡目八目とでもいうのか、全体を眺めながら次の動きをワクワクしながら考える。これもまた良い。そういった楽しみを求めてあちらこちらに顔を出す。
 ちょっとかじってルールやテクニックもわかるが全く畑違いのゲーム*1の対戦会を覗いたこともあった。何が起きているのかはわかるが人間には無理だろ、と思ってしまうムーブがあちこちで起きていた。それでも足りない知識を総動員させつつ隣の人に解説を頂いて画面が見えてくると面白さは跳ね上がった。こういうことがあるとその場にいる人もゲームもすきになる。未だに基礎を学びつつの段階であるが、大会が動画化されていたりすると見る。

 これらのゲームイベントを「ビジネスとして、商業の手段として」始めたい方々に知っておいて欲しいことがある。

 現状、私の知っている範疇では国内のゲーム大会・対戦会はコミュニティ側が主導で開催するものが非常に多い。日本で特に盛んな1on1の対戦格闘ゲームはゲームセンターであったり、有志が会場へ機材を持ち寄って開催することが多い。なおかつ、これらのイベントは「そのタイトルが好きな人」によって行われる。参加者はもちろん、運営の人間もそのタイトルについて精通している。
 この「会場にいるみんながゲームに詳しい」はかなりすごいことだと思う。ゲーム内の問題、その周辺機器の問題が起きた時に運営側だけでなく参加者側すら「ああ、これはこの入力をしたから起きたものだろうな」と原因を理解できる。理解できるまでにそれなりの時間がかかっているはずなのだ。その時間は「いつも通りゲームをプレイしている」時間であるが故に誰も気にとめていないだけで。
 コマンドだけではない。ハード周りの機器・配線もそうである。少し見て考えればわかりはするのだが、各ハードにおいてどの機器がどのような役割をしているのかということまでタイトル別に勉強しなければならない。このコントローラーはこの接続方法、音声はこのようにすれば出力できる。これもゲームハードを触ったことがあり、その目で誰かのコントローラーを見たからできること*2なのだ。
 コミュニティによる大会はそれらに詳しい人間によって行うことができる。ゼロからイベントを起こそうとした時にゲーム側に関わる人間が必要な知識はかなりあるのだ。少人数の小規模であるならイベント前の計画、手続き、人員手配に加えて「ゲームをする」必要がある。実際にゲームイベントを行う企業の方からイベント前に1タイトルをやりこむと伺った。プレイヤーの気持ちになるために必要な行程となっているのだ。

 これらに加えて始める前にはお金の問題が大きい。前提として会場は確保する必要がある。スマホでもない限りモニターは人数に応じて購入するなりレンタルするなりで増やさなければならないし、ゲームハードも購入するか参加者側から持ち込んでもらうしかない。ゲーム以外にもそれらを繋ぐケーブルや演出のためのスクリーンも用意しなければいけないかもしれない。
 そして人件費。イベント内でプレイヤーのやりとりをスムーズにするための人間だけでなく、配信画面を管理する人間も、前に立って大声を張りステージ前でイベントを回す人間もいる。これらをコミュニティの人間は「好きだからやっている」。よって人件費はほとんど発生しない。誰も彼も使える知識があってゲームに関して有用なスキルがあるにも関わらず。
 では逆に収益はどこから入るのか。イベントを依頼されたのであればそこから割に合う金額を提示されているはずであるし、足りないなら請求する。大きなイベントであればスポンサーとなる協賛企業や個人からの援助があるかもしれない。とはいえ、いきなりそれらを得られるはずはない。よって、しばらくはイベント参加費を設けることで収入とする。参加者からいきなり先述の準備費用を集めようとすると高額になることは確実となる。堅実にいくなら何度目かで利益が出るような長い目で見る計画が必要だろう。利益となるのはまたしばらく先となる。
 コミュニティ側では「損になりすぎない程度」に金銭を集める。利益はそこまで重要ではないのだから。故に、参加費もそこそこである。とあるゲームのイベント一覧を見てみると、こんな感じ。

puyo-camp.jp


 開催する手間がかかる割に利益はそうでもない。なおかつ、競合はノウハウもあってプレイヤーからの人気も高く熱意のある上に利益を度外視するような団体である。新しく入り込むにはなかなか難しいのではないだろうか。参加者サイドも公式企業のものでなければ「安くてプレイヤーに理解がある」イベントを選びたくなるものである。結果、選ばれないイベントは栄えなくなってしまう。対抗するためにはコミュニティの努力に新規開催者は合わせなければならないのだ。その見返りは非常に小さなものだとしても。

 

 こうしてお金の動きが小さくなり、産業としては縮小し、世間に影響なく、日本のe-sportsは今まで通り「やりたい人がやっているゲームのなにか」に戻りましたとさ、めでたしめでたし。


 という一つの未来が昨日の夜中に見えたので界隈の人頑張ってください。
 「ウチは企業でもこういうことしてるよ!」とかそういう話が聞きたいです。よろしくお願いします。

 

 

追記

昨夜に友人と話していた「ゲームの知識もイベント経験も無い方のお手伝いにほぼ0から対戦会したよ」から広がった話です

 

話は「参加者側が勝手を知ってて半分スタッフみたいに動ける人もいるコミュニティのイベントに対して建前でも全部仕切らなきゃいけない企業のイベントが対抗できるはずなくない?」「それで企業のイベント減ったらお金動かないし第三次産業としても成り立たんからe-sportsも終わりでしょ」「でもコミュニティを無くせる訳がないからイベントを自前で用意するより認可してスポンサードする方がいいよね」「それは闇市場を育てるのと変わらないのでは?」みたいな流れです。最悪上の本文読まなくていいのでこの文で察してほしいです

 

自分の好きなコミュニティイベントが長期的に自分たちの首を絞めているのではないかと思った次第です

明るい未来にするための対策とかコメントかTwitterにください

 

追記の追記 2019/11/06

「普通の人」の定義を変えました

*1:ぷよぷよ

*2:そこまでゲーマーでもない普通の人は複数コントローラーを持たない

Too(友人)の話

 なんとなくこんな募集をした。

 

 

 そして第1回はこちら。

 

 「自分の話しろ」という言葉を他の返信が来るより早くするとかどういう精神の太さだよ。とは言え、「来るもの拒まず」がモットーのぼくはこれを書くことにした。

 

 まずは「Too」なる人間とぼくの関係から書くべきだろう。

 学校の同学年、たまたま同じ部活にいたオタクで適当に喋っているうちに、気がついたら関東の大学に行っていた。ぼくが関東に行った頃にはすっかり「Twitterと身内でイキる大学生オタク」になっていた。わりかし関東でも遠くに住んでいたため、特に会う頻度は高くなかった。

 ぼくが引っ越してからは「酒が飲めて意識高いゲームの話ができてスマブラの相手になるがTwitterと身内でイキっている大学生オタク」となり、ぼくの最寄り駅まで足繁く通わせた。何度かメンタルや環境が地獄の時に話をして以来、今の関係に落ち着く。お互いの住処に行ってモノを食いつつやたら酒を飲むことを繰り返している。ついでに書くとイナズマイレブンの五条さんにめちゃくちゃ似ている。もっと言うと会うたびに太っている。

 

 Tooとのエピソードで何より先に思い浮かぶのはこれしかない。出会ってちょっとしたくらいの時。ぼくと友人が「わりとゲームすきだよ」(和気藹々)とお喋りしているところに割り込んで発してきたこの言葉。

「でもお前が好きなゲームとかってお前が知ってる範疇のものでしか無いじゃん」

 これがずーっと忘れられない。呪いの一種だと思う。人に対して言う言葉ではない。動物園でゴリラを見ている子供に向かって「でもお前ジャングル行ったことないじゃん」的な。正論ではあるけれど、そこまで面白くない言葉言える奴が世界にいると思えなかった。

 こういうこともあったので、卒業式に顔を見せに来た(もうぼくの母校にはいなかった)時は「何来てやがんださっさと出てけ馬鹿野郎」と返してやった。後から考えてちょっと言いすぎたと反省したが、こうして文章にしていると妥当な返答だと思う。反省は取り消す。

 

 むしろ2人で会うのは関東に出てからの方が増えた。酒は飲むし肉は焼くしピザは焼くし対戦会は巻き込む。そう、月1でTooを呼びつけて酒を飲んでいる。大体はぼくの近況(地獄)報告となる。開始の合図は大体こう。

ぼく「酒」

Too「はい」

かわいそう。とはいえ、これで一度モヤモヤの詰まったぼくを「それが人間やぞ」となんとかさせた実力はある。酒を飲むこととうんちをかけられるのがうまいことは評価するべきである。みんなもTooにうんちをかけよう。

 

  この文章を書きながらも11月にはTooを呼んで共にあれこれする予定になっている。おそらく、アルコールも摂取する。12月はどうだろう。どうせ顔を赤くしてガバガバとビールを飲んでいると思う。オタクはオタクと酒を飲む。どっちかが飽きるまではそうして遊んでいたいものである。

ラーメン屋に行こう!

 あんなに暑かった月始めもどこへやら、少し冷えつつある10月中旬。小雨の中をとぼとぼ歩く男が一人。私、あんかけである。

 

 勤め先*1からの帰り道、いつも目を引く建物があった。長方形で古ぼけた壁の無骨な見てくれ、窓から漏れるはオレンジの明かり、そして正面には赤のれんに並ぶ文字、「ラーメン」。

 今日は金曜日だが、家に帰れども米は炊くほどの暇は無く。一週間の御褒美に、と麺をすするべく店に向かった。

 店の前には「あっさり仕立てに隠れたコクとうまみの支那そばあります」と書かれたA型看板が堂々とそびえ立つ。この小さな引き戸の奥にはそんな彼が待っている。大きな期待を胸に入店する。

 

 おばちゃん2人と10人程度のカウンター席が私を出迎えた。スキンヘッドのおっちゃん以外、席はガラガラだったが、後から来店する人を考えて少し奥に座る。塗装の剥げてきた机にはよくある調味料。膝が当たればミシリと音を立てる。非常に雰囲気が出ている。

 セルフサービスの水を取り、カウンターの上に書かれたメニューを眺める。ここはやはり支那そばだろう。決めていた私の心を揺り動かすのは「半チャンラーメン」なる文字列。半チャンなる単語は麻雀でしか聞いたことがないが。

 

「すんません、半チャンラーメンってなんすか?」

「チャンはチャーハンよチャーハン。それの小さいのと支那そば。」

「ならそれで。油は多めでお願いしゃす」

「はーい」

 

 ラーメンとチャーハンは最強のコンビである。MIBのJとKくらい最強だ。そしてなぜか年季とチャーハンの味は比例し、ラーメンそのものよりも美味いチャーハンが出る店もある。もはや中華料理店のチャーハンは1つの楽しみである。

 今更言うことでもないが、私はラーメンがすきである*2。ラーメンの麺とスープと具材と香りと器と漂う湯気がすきである。それ以上言うことはない。ラーメンがすきだから。

 

 おっちゃんとお喋りしながらもおばちゃん2人は手際良く調理を進め、皿が並ぶのは早かった。ラーメンとチャーハンが同時に出てきたこともすごい。2人でやっていると言えども盛り付けもほぼ同時なのは長年の経験からできることだろうか。いただきます。

 

 橋を持ち上げ中華麺特有の黄色い麺と対面*3。一息置いて麺をすする。醤油ラーメンにちょうど良いやや柔らかめ、それでいてナヨナヨしていない程よい仕上がり。麺と共に口に飛び込むスープの風味もたまらない。これは美味。

 次はスープをレンゲにすくって一口。やはり魚介系の出汁。主張し過ぎない味の奥底にあるうまみ。これが隠れたコクとうまみというヤツだろう。メインに来るのは濃いめの醤油。麺はもちろん、具材のワカメとメンマにも合うちょうどいいバランス。これはうまい。

 ラーメンを楽しみながら横の皿、チャーハンへ。油多めで炒められた輝く米はいつもの白米と違った顔を見せてくれる。周囲の卵や軽く焦がしたネギがチャーハンとしての格を高めている。この感じはきっと味覇ではない。いつも食べているからわかる。これはおいしい。

 

 黙々と食べているとおっちゃんに急に話を振られた。

 

「ニーチャンは若いしパチンコなんざやらんやろ」

「まあそっすね、たしなむ程度*4ですよ」

「世代やなあ、若いうちはもっと外出ていろいろ遊んどくべきやな」

「はっはっは、インドア派なんで引きこもりますわ」

 

 こんな感じで適当に雑談をした。おっちゃんもおばちゃんも特になにごともなく。スマートボールの話なんかも出た。酒を注ぎつつぼやきながら喋るおっちゃんと、それに軽口で返すおばちゃんたち、それに耳を傾けながら食う私。店の雰囲気といい、ここは昭和になった。こういうところが「年季ある店」の良いところ*5である。

 

「おばちゃん、おあいそ」

「はいはい、ニーチャン学生さん?」

「一応勤め人です」

「そか、暇があったらまた来てな」

「どうも、ご馳走様」

 

 次はネギラーメンでも食べに行きたい。

*1:仕事が見つかりました

*2:日清のトムヤムクンラーメンは滅びてほしい

*3:麺だけに

*4:音ゲーの1/10くらい

*5:悪いところでもあるのだろうけれど