あんかけが書く

かきたいことをかきます。

38つめのすきなもの『星新一』

 「もの」、というよりも「者」だ。何気に人名が入るのは初めてである。

 昨日、増えてきた物をなんとか収納するため、本やCD、ゲーム機を移動させた。片付けの時に「移動させようと手に取った本を眺めていたらついつい読み込んでしまう」というあるあるな流れをしてしまった。その時に手に取った本は星新一の「未来いそっぷ」である。

 

 星新一の書く「ショートショート」なるジャンルは、あまり小説を読まない人間に勧められることが多い。小中学校の図書館の913分類にはよく置いてあったのではないだろうか。なにしろ、話一つが非常に短いのだ。最も短いもので文庫本の一ページ分に満たない(未来いそっぷの中の「キツネとツル」)。また、一文が非常に簡潔であり、読みやすい。文庫本を一冊買い、千夜一夜物語の如く毎晩一つずつ楽しむのがおすすめである。

 筒井康隆阿刀田高など、ショートショートのジャンルの作家は他にも存在する。ただ、少しクセが出るため、本を読み慣れていないのであればやはり星新一の方を薦める。ちなみに、筒井康隆の短編なら「農協月へ行く」がすきだ。

 

 星新一ですきな話、となると選ぶのは難しい。なにしろ1000以上あるのだから、すきな話もそこそこの数となる。しかし、買った文庫本は20冊くらいであるため、カバーできているのは1/3程度。まだまだ発見の余地がある。

 それらの中で、今思い浮かんだものなら「処刑」だろうか。散々話が短いと言ってきたが「処刑」は長い部類である(普通の小説と比べれば非常に短いが)。

 死刑の代わりに刑罰が他の惑星へ飛ばされる未来、処罰された男が惑星の中で過ごす何日かを書いた物語である。生きるために必要なあるものを巡って苦悩する男の描写と、後半に男の考え方が変わった後の流れがお気に入りである。今をそれなりに生きるぼくみたいな人にはおすすめしたい。

 もう一つ挙げるなら「おのぞみの結末」。この話を読み終えた後にする行動は二つ。一つ、オチでニンマリする。二つ、「メロンライスにガムライス」とつぶやいてみる。珍しく登場人物が少し多くなるが、非常にテンポが良い。気がつけば終わっている、という話の進み具合がすきである。

 

 星新一の文庫本は未だに出版され続けている。それだけ長く、多くの人に愛されている証拠でもある。昔読んだなぁ、なんていう方も時間が経ってオチの感じ方が変わっているかもしれない。久しぶりに読んでみてはいかがだろうか。

37つめのすきなもの『ハンドルネーム』

 マニアとして生きる上ではハンドルネームは欠かせない。リアルの世界を生きる自分と自分のすきなものの世界に浸る自分は別物である。勤めている場所で「あんかけさん!!!」と呼ばれても、なんと応えていいかわからない。複雑な気持ちである。

 今の「あんかけ」なる名前はおそらく3年目である。何人かの方には理由もない嘘をついてしまった記憶があるが、この名前がついた経緯は単純だ。前の名前から変えようとした時、友人とフードコートで話しつつ適当に目についたのが「あんかけラーメン」だっただけである。それ以降長く「あんかけ」を名乗っている。愛着もわいた。

 

 最近ではゲームはオンラインが多くなり、プレイヤーネームが必要となった。「ゆうた」など実名でも良いが、ここでも自分で考えた名前がつけられることが多い。格好良く英数字で記号としてまとめたり、日本語ではあるものの所見で意味がわからないものであったりするものをよく見る。

 たまに、これらの名前から強い、上手いと雰囲気を感じる。別にそれは直感であり、確実に当たるわけではない。例を挙げるなら

  • 食べ物系の名前はつよい………「たまごやき」
  • 短めのローマ字つづりはつよい………「gokiB」
  • キャラ名を冠する名前はそのキャラを使わない………「チャージャーマン」(スシコラ持ち)
  • ひらがなの外来語は要注意………「すたんぷ」

など。個人的な感覚である。名前から受ける印象で戦う前に心が揺さぶられるのだ。そういう意味でもハンドルネームは重要かもしれない。

 

 これらの名前はオンラインだけでなく、実際の会合、すなわちオフ会でも用いられる。これまたよくわからない自己紹介が面白い。

「どうも、あんかけと言います。」

「私は脱法白米販売店です。」(架空の人物)

「あの脱法白米販売店さんですか、Twitterいつも見てます」

「いやー恥ずかしいですね」

といった具合である。現実ではありえない文字列に敬称を付け、名前として扱う。この空間に漂う不思議な雰囲気がすきである。この時、実名やその人物に関する情報はほとんどないのだ。しかし、友好的な関係を築くことはできる。

 ただし、困ることもある。「ウメハラ FIGHTING GAMERS!」という格ゲーを題材にした漫画には「ゲーセン仲間が事故を起こして入院したため、見舞いに駆けつけようとするが、名前を知らないために病室がわからない」というシーンがある。現実にも、もし「脱法白米販売店さん」に何かが起きても、ぼくがそれを知る術は無い。ハンドルネームと趣味のつながりから始まるものである関係は、こういった難しい問題に遭うかもしれない。

 

 とはいえ、ぼくは未だに本名を知らない人とも毎晩ゲームをする。何かを通じて仲良くなれることは間違いではないのだ。今まで出会った方、これから出会う方と(もっと)仲良くなりたいな、という願いを込めて今回の記事は終わる。

 

36つめのすきなもの『ミライダガッキ』

 学生の頃の話だが、ぼくは音ゲーを毎日していた時期がある。一日が終わればすぐにゲームセンターへ直行し、筐体へ100円を入れる。今の時代スマホでもクオリティの高い音ゲーはあるが、腕を動かしつつ体に振動を感じるには物足りなかった。

 

 あのゲームセンターには大抵の機種が揃っていたが、中でもお気に入りだったのは『ミライダガッキ』である。KONAMIBEMANIシリーズの一つだが、影が薄い。土日に少し人が多い時でも遊んでいるのはもじゃもじゃのにーちゃんだけだった。

 ミライダガッキは4つのタム(楽器)をリズムに合わせて叩きながらポーズを決める音ゲーである。

ミライダガッキ - Wikipedia

 バチを振りつつ手を上に上げたりするゲームのくせに、筐体据え置きのバチが電気マッサージ器かと思うほどに重いため、自前でドラムスティックを用意していた。

 動きはそれなりに大きいため、人が多い中遊ぶには勇気がいる。ただ、田舎の夕方のゲームセンターにはほとんど人はおらず、メダルゲームに興じるご老人が何人か、という客入りであった。だからこそ周りの目を気にせずこのゲームに入り込めたのだろう。

 

 結局このゲームはオフライン稼働となり、実質コナミから見放されてしまった。そんなゲームの何が良かったかというと操作が単純だったのだ。同時にすきだった音ゲーサウンドボルテックスやbeatmania ⅱDXだったのもあり、箸休めにはちょうどよかった。ゲーム自体も他の音ゲーに比べれば易しいものであると思う(譜面と曲によるが)。1人でやるのはもちろん、初心者2人がタムを2つずつ使って和気藹々と遊ぶのにも向いている。

 譜面そのものはDDRの譜面をミライダガッキへ流用したようなものも多かった。もちろん、手でやる分簡単ではある。

 

 ぼくがお気に入りだった曲はHYENAと恋する宇宙戦争だ。HYENAは曲から容易に想像できるような縦連打と交互連打(トリル)がすべてである。あの辺りのスコアを詰めようとして土日にゲームセンターへ籠もったが、視線と腕の痛さに負けてDDRへ逃げた。降ってくるオブジェクトがデカイのもあって、何回叩けばいいかわかりにくいのも難度上昇の原因だろう。

 宇宙戦争は乱打譜面であった。そこまで難しくはなく手が動きやすい配置は何度遊んでも面白い。特に「まだまだ負けないんだから〜〜〜〜」辺りは「ここを叩くために生きている」という満足感があってすきだ。叩きやすいながらも最高難易度の10である事が満足感を増加させる。こちらも腕の疲労と電波曲による目立ちっぷりでポッ拳へ逃げた。

 

 そんな思い出の詰まったミライダガッキは、ある日突然地元のゲーセンからなくなった。いつものように遊ぼうとしたら筐体がないのだ。店員さんにも聞いたが、「もうここにありません」と言われたのは死刑宣告にも近かった。よほどあそこでは遊ぶ人が少なかったのだろう。もっと自分がお金を注げばよかった。

 

 都内、もしくは関東地区にミライダガッキを見つけた方はご一報ください。よければ一緒に遊びましょう。

ゲームについて思うこと 『RPGの面白さ』

 前に書いたことがあるかもしれない。どこかで重複した内容があったら教えて下さい。

 

 RPGにはよくある話。誇張して書くと「ただストーリーをなぞるゲームに面白さはあるの?」という意見をたまに見る。

 

 オクトパストラベラーのレベリングをしながら思ったことをたらたらと書く。「ストーリーはすきだけどRPGというジャンルがあまりすきではない」という考え方の方にちょっとでも「ほう」と思わせられればいいな、くらいに思って書く。

 

 オフラインRPGは極端に言ってしまえばおつかいの繰り返しである。村の祭りのために隣町のかんむりを買ってきてほしい、お告げの通りに旅に出てみる、大きな国の兵士を目指す………。これらの行動にプレイヤーの意志はない。

 大きなストーリーにプレイヤーはなんの影響も及ぼさない。どれだけ頑張ってもパパスは「ぬわーーーーーっ!!!!」する。最近のゲームはそういった運命を変えられるものもあるが、オーソドックスなものはあまりできない。

 大筋の話に関与できない悲しさはある。これでは小説を読んでいるのと変わらないのだ。

 

 しかし、それらのイベントにどう立ち向かったかは誰もが違うはずである。

 これを読んでいるあなたはパパスを救うために何度も立ち向かった人?すべてを諦めて「にげる」を連打した?もしくは「ひとしこのみ」でステータスをカンストさせ勝ってしまった?

 人それぞれの進め方の結果、イベント後の感想もまた違う。この積み重ねが自分だけの話になると思う。

 

 ぼくも大していろんなゲームをやっているわけではないため、あまり良い例が見つからないが、ポケモンは今まで書いた要素が栄える(RPGとは別のジャンルかもしれないが)。自分の相棒と共に旅を続けるこのゲームには、キャラクターに愛着が湧きやすい。

 赤緑(FRRG)は最初にヒトカゲを選んだ。初っ端からニビジムで何度も負けたが、メタルクローで撃破。ハナダジムではラッタ、ピジョンで頑張るもののみずのはどうの混乱でやられる。どうしたものかと考えながらナゾノクサに出会う。

 などとジムに限って書いてもある程度は思い出せる。それだけ、どこで苦労してどこが楽しかったのか覚えているのだろう。思い出である。

 このヒトカゲは無事に進化し、何代目かの子孫と旅をしている。各バージョンに1体はいるはずだ。ヒトカゲリザードリザードンに進化させる度に初めての旅を思い出してしまう。

 

 RPGはロールプレイをするゲームなのだ。主人公、キャラクターになりきって1つの人生として楽しむのも悪くない。

35つめのすきなもの『献血』

 何もしなくても人が欲しがるものが出て、それで金を稼ぎ、それなりに生きるうえで必要なものと嗜好品を貰う人生を歩みたい。尻からウニが出るとか髪の毛が高級二八蕎麦になるとかである。こういう体質であるならば、オークションサイトに自分から「出た」ものを販売することで金が手に入る。

 もちろん、そんなことはありえない。もう少し現実的なラインを探す。しかし、せいぜい自分が作り出せるものは毛と爪と糞と小便である。

 

 ここで提案したいのが「献血」である。今の日本で唯一、うまい具合に交換できる(レートは良くない)のが血液だ。

 

 ぼくは献血によく行く。どれくらい行くかというと、献血センターサイドから「もう今年度は来るな」と言われるくらいである。何がぼくを献血ルームに呼び込むかはわからないが、時間があるときにはなんとなく行けるか考えてしまう。

 もらえるお菓子や飲み物はあまり興味がない。どちらかというと日用品が目当てである。

 新しく行った献血ルームレトルトカレーが貰えたことがあった。3ヶ月後、金欠で困った時に一か八かをかけて同じ献血ルームでカレーを貰おうとしたが、手に入れたのはジップロックであった。命をかけたガチャである。地域にも寄るが、景品のバリエーションとしては豊富だ。歯磨き粉、ラップ、軍手(ちょっとおしゃれ)など。これらから狙った日用品を引き当てるのは難しいのだ。この日用品ガチャは楽しみの一つかもしれない。

 

 モノがモノであるが、輸血パックに溜まる血液を眺めるのもすきだ。別にそういう趣味とかはない。ただ袋が少しずつ膨らみ、そこそこきれいな赤色だったものが黒みを帯びるのを眺める。最後は自分から出たものではあるが、「意外と血が出ても大丈夫だな」と感心してしまう。

 浴槽から水を抜く時に最後まで眺めるのと似ているかもしれない。

 

 最近は年を取ったからか、献血の後はダウナーになる。午前に献血し、壁を見つめて午後を過ごしたこともあった(カレーの回)。おっさんになって体力が落ちたが、唯一の趣味と実益を兼ねたものである。しばらくは続けたい。