あんかけが書く

かきたいことをかきます。

12つめのすき『空を眺める』

 朝起きると、ぼくは締め切っていた部屋のカーテンを開ける。そして空模様をチェック。今日は良い天気だった。気持ちよく晴れた日はなんとなく悪い気分ではない。この時期の晴れは過ごしやすい気温になるはずなのだから当たり前といえば当たり前だ。

 身支度をして外へ出る。田んぼの真ん中を歩きながら、改めて空を見上げる。夏はあんなに威張り散らすように照りつける太陽も、まだ大人しい。空には高いところに薄く雲が流れている。今日はまた風が強くなりそうだと思いながら足を動かし続けた。

 そして夜、今日の反省会をしながらまた空を見る。今のぼくの住んでいるところはそこそこの田舎であるため、星も見える。星座の知識などカシオペア座と冬ならオリオン座、夏ならさそり座くらいしか知らないが意味もなく眺めてしまう。ぼーっと星を見ているこの時間もまたよい。

 ぼくにとっての空は「毎日」の象徴のようなものだ。普段は何事もなくただ雲が浮かび、なんの変化もないが、たまには激しく雨が降る。ふと気がつけば飛行機が飛んでいたり日食だのと少し気分が高まることもあったり。誰もが望む平和な日常はきっとこんなものなのだろう。ぼくもこれくらいのんびりした生活を送りたい。

 

 空を彩る雲もまた主人公である。夏のごつごつとした雲らしからぬ厳つい入道雲は迫力があるし、気がつけば道を引いたように一直線な飛行機雲も自然な雲の形とのギャップが見られて面白い。冬に雪が降るならば一面白色の地面とこれまた真っ白な雲が目に飛び込んで天地を間違えてしまいそうだ。芸術作品を鑑賞がごとく、ぼくは空とともに雲も見る。

 

 繰り返し言うがぼくは田舎の人間である。ぼくのような暇な人間にとって空を眺めるのは最高で高尚な暇つぶしの1つである。そんなぼくに横を向けば空があるこの土地はなかなかいい場所だったのかもしれない。

 たまに行く都市部はなんとも空が狭い。大きなビルの前にはあれだけ存在感のあった入道雲もかたなしだ。なんとなく物悲しい。

 

 そんなことを考えていた1日であった。それではまた次の記事で。


地元は関係ないけれど大洗に行った時の空。
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