あんかけが書く

かきたいことをかきます。

48つめのすきなもの 『大盛無料』

 無職の身となったぼくでも、ちょっと外出した時はそこらの店で食事をする。家に帰って何か作ってもいいのだが、外に出た後だと家事をするのはいつもよりはるかに億劫に感じる。会社に行っていた頃は何も思わず夜に家事をしていたのだが、人は怠けると落ちるところまで落ちるらしい。

 とは言いながらも、やはり値段の高いところはちょっと苦しい。残りの銀行預金は寿命に等しいため、なんとかやりくりしなければならない。しかし、かなり食べる人間であるぼくがいつも満足に食べようとすると、どうしても割高になってしまうのだ。家計簿を見ると、大抵エンゲル係数が平均よりも高くなっている。

 しかし、飲食店を回っていると助け舟はそこらに出ている。看板にでかでかと書かれた文字、「大盛無料」である。何が大盛なのかはものによって様々だが、よくあるのはラーメン屋の麺だとか定食屋のライスとかだろう。あの文字がたまらなくすきである。

 

 ぼくはよく「白米とおかずを食べる比率が白米に偏りすぎている」と言われる。自覚しているのだが、白飯が美味いのだから仕方ないのだ。明太子をおかずに飯を食うなら茶碗一杯に対して親指の先に乗るくらいの大きさの塊で十分である。書きながら自分はおかずより白米の方がすきなんじゃないかと思い始めた。

 ラーメンも同じ理屈だ。麺が白米ポジションならスープやその他具材はおかずである。ルーティンのように最初の一口はレンゲ一杯のスープ、次からはほぼひたすら麺である(この時、天一のラーメンのように米と合うタイプのラーメンなら米が優先されて麺はおかずになる)。麺の量もスープに比べると若干物足りない気がしてしまい、少しがっかりすることがよくある。おかげでちょっとキレイなラーメン屋よりも年季の入ったようなところや二郎系を好むようになってしまった。

 

 今回のタイトルを見直して白米ではないことを思い出す。

 

 人よりも食べることがわかっているため、基準がおかしいことは重々承知しているが、なぜ大盛サイズの並盛は少ないのだろうか。無料で出せるならば最初から大盛にしてほしいものである。乙女なので注文の際に「ライス大盛もう一杯」と何回も頼むのは若干恥ずかしい。

 というわけで全国の諸君も白米をモリモリ食べよう。大盛の米はうまいしテンションが上がる。だからこんな朝から食う米は朝の空気と共に吸い込むにふさわしい逸品である。朝から米大盛の定食を食うのもまた一興。是非とも近くの定食屋で大盛くださいとコールしてほしい。朝から新しい世界を見ることができると思う。

 

 ちなみにこの文は昨日買った菓子パンを食べながら書いた。