fogじゃねーか
この映画の話をする度に、友人には「人生みてーな映画だ」とだけ言っている。
ジャンルはSFホラー。あらすじを上記のリンク先から引用する。
その夜、激しい風雨と共に雷鳴が轟き、町を嵐が襲った。湖のほとりに住むデヴィッドは、妻のステファニー、5歳の息子ビリーと地下室に避難していた。翌日は晴天。しかし、デヴィッドは湖の向こう岸に発生した霧の壁を見て不安になる。それは不自然にこちらに流れてくるのだ。息子と共に買出し出掛けたデヴィッドは妻に連絡を取ろうとするが、携帯電話も公衆電話も不通になっている。スーパーマーケットの中へと入ると店内は大混雑。すると突如大きな地震に襲われ、外は霧に囲まれて身動きが取れないまま、彼らは店内に閉じ込められてしまう…。
このあらすじから読みとったもう少し先である、スーパーマーケットに閉じ込められてからの話がこの映画の本筋なわけだけれど、ここからの物語を「人生」と呼びたいのである。
この映画がホラーとして分類されるのは主人公デヴィッドに恐ろしい出来事が起こるから*1だ。もちろん、デヴィッドは“それ”からの解決を試みるが、その様はまさに人生である。
人間は日々選択しながら生きている。この文章を書く前なんかもそう。
なぜか徹夜してしまった、やはり仮眠を取るべきでは?いやいや、このままオシャレな喫茶店でモーニングでも食べに行こう、歩いてコーヒーを飲みに行けば目も覚める、そういえば喫茶店はこの近くに3件あった、どれに行くのが良いのか?今日は人通りの多い道の前の店で人間の往来を見ながら何かする気分だな、ちょっくら行くか、服を着ようか、何を着よう、何色にしよう何を持とうどの道で何を食う何を飲むどこに座る何書く……
そうして今をちょっと楽しく過ごす事ができている。その理由は選択が正しく、後悔する理由がないからだ。
では、次の瞬間コーヒーをカップごとぶちまけてしまったら?それは悲しいだろう。だが、元はと言えばコーヒーをラージで飲んでる奴が悪い、テーブルの小さな店に来たのが悪い、お気に入りの服で来たのが悪い、徹夜で来る馬鹿が悪い。結果論や因果律で語れるほど単純ではないにしろ、後悔し、嘆く理由は己にある。仮眠を取るような誰かが取る選択肢を否定し、嘲笑った自分のする選択だって正しいかどうかわからない。
そんな選択という行為をしなければならなくなった人間、デヴィッドを眺めるのがこの映画ミストだと思う。ここでコーヒーをこぼす話と違うのはデヴィッドには5歳の息子がいる、という点。1人の呑気なオタクとは話が違うわけで。子供を守るのも親のつとめ、ですよね?
そもそも映画の話になったり映画を見る流れになっているのは、Amazonビデオのウォッチパーティのおかげであり、この流れに乗じてなんとか友人にミストを見せてやりたい。これはその前に書いているのでまあまあふわっとした表現にしているが、デヴィッドやその愉快な仲間達の一挙手一投足について書きたいくらいである。喫茶店に来る前に映画をもう1周してきた*2ので、記憶も鮮明にある。あのシーンやあそこ、特にあれとあの時の話もしたい。
何か選ばなければならないそこのあなた、この映画おすすめですよ。
……今から帰ろうとした矢先に雨の匂いがしています。持ち物は財布とスマホだけの愚か者はもうだめかもしれません。では。