あんかけが書く

かきたいことをかきます。

43つめのすきなもの『きゅうり』

 ぼくには食べ物の好き嫌いがそう無い。多くの野菜、料理はおいしく食べることができる。強いて言うなら「酢の物」であろうか。何とも表現しがたいあの感じが自分の舌にはよろしくない。すきな食べ物は何度か書いている。

3つめのすき『天下一品のこってり』 - あんかけが書く

5つめのすき『ヤングドーナツ』 - あんかけが書く

 

 今回もそのシリーズの1つである。今までのぼくのすきな食べ物は料理とかお菓子であったが、今回は既製品というより素材に分類されるものである。食べ物としての大枠に沿ってはいるが、何かが違うといった感覚である。

 

 昔からきゅうりは生で食べることが多かった。母から調理の余りを手渡され、河童の如くポリポリとかじっていたのである。今思えば侘しいおやつであったが、当時のぼくは喜んで食べていたものである。きゅうりならではの持ちやすさと、程よい歯ごたえが心地よかった。母としても、余りの部分は放置しづらく、冷蔵庫で眠らせるのも勿体なかったのだろう。なんとも都合の良い息子である。

 ある日を境に、きゅうりそのままを手渡すだけでなく、縦に切り少々の塩を挟んでくれるようになった。古くから浅漬け等によく使われるだけあって、塩ときゅうりは程よく合うのだ。きゅうりそのものにこれといった味は無いが、不思議と塩っ気はきゅうりの奥底に眠る「きゅうりっぽさ」を引き立たせるのだ。

 そんなきゅうりはぼくが中学を出てからあまり生で食べることは無くなってしまった。ぼくとしてはウエルカムだったのだが、妹とともに食べる量が増えたせいで余りは少なくなってしまったのだろう。加工前のきゅうりの1/4は意外と多いのだ。いい年になって「生きゅうりをおくれ」とも言えず、遠目に千切りにされるきゅうりを見ていた。

 

 そして自炊をするようになった今、ほぼ毎日、スーパーをうろつくようになった。そしてたまに、鎮座するきゅうり君と目が合うのである。そういう時は運命だと思い、買ってしまう。昔は余りをちょっぴりもらっていたが、食べたいものはたくさん食べたほうが幸せである。こういう時、なぜか「大人になってしまったなあ」と思うのだ。


f:id:ankakeassa:20181031223146j:image

 

 昔はこんなに塩を挟んでなかった。流石にしょっぱい。それでも、きゅうりはおいしいのである。