一ヶ月ぶりに何かを書いている*1。「すきなもの」の記事となれる条件に、ある程度の長さの文章にでき、日常のものなら多くの人間が知っているようであまりその存在を実感できていないようなもの、とやんわり決めているのだけれど、そうそう見つかることがない。
ある程度の長さの文章、というのが難しい。自分の文章は主に4つの要素で構成されていると思う。
- 五感から得た事実
- 1を体験して口から出た生の言葉
- 口から発せられることはないが確かに得た感想
- それに近い物事、またはそれらと同列であろう存在しない事象を用いた比喩
大抵はこれで成り立っている。どの作文、文章もこんな内容ではある気がする。ただ、自分の文章は4が多いので書いた記憶のないものでも「句読点を挟んだ二つの似た事象が並ぶ一文」でなんとなく自分っぽさを感じる。とある文を友人に読ませた時、「テーマは知らんがお前の文章を読む人間にはお前だとすぐわかる」と言われるくらいには共通の感覚であるはず。
特徴があって構文として目につくのは4の項目であるけれど、「あんかけっぽい何か」を引き立たせるのは1と2であると思う。1と2の境が非常に曖昧で、冗長だと思うこともしばしばある。最近の文章はそんな感じで成り立っている。
どんな文を書いていたかわからなくなってきたので最初期の用水路の話とか天一の話を引っ張り出すと1と3で成り立っていた。
思い出に3を読んだ友人が「天一行きたい」と言ってくれたのでそこそこの人数で天一に行ってこってりラーメンを食った。結構嬉しかった。
それはそれとして2が混じるようになったのがいつかを見直すと2019年9月らしい。
日記帳を書こうとすると言葉が出てくる。テンションが高い時の自分の文章はそこそこに恥ずかしい。この辺りからこうなる。
2を文章に出す時は「文にしづらい感情を発した言葉にしてそこから気持ちを推察しやすくする」であるかもしれない。感情を言葉にするのが面倒に感じがちなのだ。自分の文章の弱さはこの辺りにあると思っている。
そもそもの感情に対する語彙力が低いおかげで形容がヘタクソなのだ。故にちょっとでも気分が昂ると「良い」だの「最高」だのになる。一応、使う時には「〇〇が△△であるから良い」と表現するようにはしている。同列にある若者表現に「エモい」があるが、こちらは意味が明確に理解できていないのと対応する言葉が必ずあるためそちらを使えるようにするために避けている。
感情の語彙は増やしても日常で使わなさそうなのが難点。反省も兼ねて辞典を購入。
また手持ちの本が増えてしまう。
話したいことはそんなにない。原稿用紙4枚目に突入したこの辺りで締めるのがちょうど良さそうだ。文章構成で気になることがあったら何かで教えてほしい。変な癖になっているおかげで何かのきっかけがなければ変えられなくなっている。特に締めの文章もこの形態ばかりな気がする。小学生の頃から読書感想文の締めはうやむやだった。きっちりと文章を締められる文の書き方はいまだに掴んでいない。今回は「締めの文章が締めとしてはっきりしないことに言及する締めの文章もまたはっきりしない」というネタで一つ許してほしい。
*1:実は他でに2つくらい文章を書いている