あんかけが書く

かきたいことをかきます。

屁かと思ったら実だった

 屁をこいても一人。

 

 どうせ部屋には誰もいない。そこそこに溜まってきている。発射するなら今しかねえ。

 

 ブボボボ!!!!!!!!!!ブチィ!!!!!!!!!ポッ!!!!!!!!

 

 何ィ………?「ポッ」だと…………?

 

 尻に違和感。

 

 実が出た。

 

 俺は泣きながら厠に駆け込み、残りの実をひり出した。下着に被害は無かった。年老いたものだ。

ゲームについて思う事 5 『勝つために』

 最近、「e-sportsタイトル」に含まれるようなゲームに手を出している。スマブラ無限にやるマンを一時引退し、他の対戦ゲームはどう面白いのか、どう流行っているのかを知ろうと思ったからだ。

 

 そんな中で、プレイのための敷居の高さが見えたような気がした。

 下手くそで、その上トレーニングモードが嫌いなぼくのいちゃもんかもしれないが、思ったことを書き連ねる。

 

 誰かが一人で対戦ゲームをそれなりに楽しめるようになろうした時、どういった順番でゲームに触れていくだろうか。

 チュートリアルで動作を知り、一人用モードで基本的技術(公式に用意されたもの)を習得し、ついに晴れてオンラインで対戦をしてみる。

 大抵の場合、ボコボコにされる。それも「まだ見たこともない手段」で。この傾向は、ユーザー側の研究の進んでいるゲームが多い(最近の家庭用格ゲーはコンボ練習モードもあるため少し違うか?)。

 ここで心が折れてしまっては購入費用がもったいない。なんとか勝つ方法を考える。ヘルファイアを組んでワンチャン狙う?Kとポチョバスで択を迫る?Ultを捨ててでもキツい相手を倒しやすいキャラを出す?

 

 

 もう一度チャレンジ。次は勝てるか………?

 

 まあ、世の中そんなに甘くない。明らかに上手い人とは大きな差がある。どうすれば勝てるのか。初心者が考えるよりも、先人の知恵が詰まったインターネットで情報を集める方が早い。

 するとキャラ対策、強い積み方、ステージ別ムーブ等が出てくる出てくる。最近では有名プレイヤーが解説動画を上げていたりとよりわかりやすいものが集まっている。

 それらを学んだ上で、使えるような練習をしてみる。実戦で問題なく出せるようになるには時間がかかるものの、勝ちに近づくには悪くない道である。

 

 理解が深まったか、という段階でまた対戦。今度は相手のやっている事が理解できるものの、それに対応するためのスピード、事を成すための操作精度が追いつかない。結果、以前よりはいい勝負をするものの、負けてしまう。

 それに対抗するには練習か、さらなる技術の習得か、相手の動きをよく見て慣れるか。ぼくの苦手な努力の積み重ねである。

 

 こう書いていると、対戦ゲームという「勝負を楽しむコンテンツ」の難しさが際立つ。この過程で何人が「対戦ゲームを楽しむ」ことを諦めてしまったのだろうか。

 かく言う自分も、複雑化するゲームについて行けない部分がある。努力はしているつもりだが、なんせタイトルが多い。あれやこれやと混ざって思ったことができなくなる。

 

 「タイトルが多い」で思ったのだが、ゲーム開発会社各位にとってのタイトル合戦、商売競争は、プレイヤー、e-sports選手からすればどのタイトルに向かえばよいのかわからなくなってしまう。コミュニティの拡大以前に分散されてしまい、そのまま消滅してしまう事もあるのではないかと不安になる。

 

 話がそれた。ぼくは、e-sportsタイトルを何本かプレイすることは続けていきたいが、しばらくは増やすのをやめておこうと思う。次は今のタイトルの知識を深めてからである。

 ゲームは強制されないものであるが故に、楽しくてもやめることは簡単なのだ。

 だからこそ、ぼくは新しいゲームにも目を向けつつ、今のゲームは続けていきたいと思う。

あんかけ視点の岐阜スマ小話

 

 どうも、岐阜スマ運営の一人、あんかけです。

 運営の長(スクルト[めじ] (@sqrt__) | Twitter)から「お前は岐阜スマ運営やぞ」という話が出たのでそれらしいネタを垂れ流します。

 

 目次

 

1.岐阜スマの始まり

 そもそもは主催と愉快な仲間たち(ぼくら)が学校の文化祭でやってみよう、というのが発端。その時の話はここにすべてが詰まっているのであまり言うことはない。

getreuer.hatenablog.com

getreuer.hatenablog.com

 研究室を駆け回り、無理を通して機材を借りつつ、ほぼ大会経験の無いぼくらが運営をする。かなり綱渡りの企画だった気がする。

 数日前でも申請者の増えないこくちーずのページに怯えながら人数が集まったかと思えば当日は大台風。そんな環境でも人は来たのである。しかも名簿にはYoutubeで見た人や大会の配信で名前を見たあの人が。この辺境でもこんな人が来てくれるのかと驚いたものである。

 

 学校内でも「おいおいなんだここは学校か?」と乱入してきた教員(64経験者、普段の憂さ晴らしとばかりにシバいた)や文化祭運営の「物を売らない催し物企画ではかなりの人の集まり具合」などと異端者の会ではあったようだ。

 

 身内が開催してたオフが初オフ、というのはなかなか珍しいのではないのだろうか。これでオフ対戦の魅了を知り、次もやってみようという話が出てくる。

 

 ちなみに、文化祭運営は岐阜スマを知ってか知らずか運営の出し物として「視聴者参加型スマブラX乱闘会」をしている。そこにスマブラーの身内が入ってしまった動画が面白い。こちらも暇な方は見て欲しい。

youtu.be


2.何回かやってみた

 で、何回か岐阜スマを開催。

  • 岐阜スマ2 2018年  3月  4日 ハートフルスクエアG
  • 岐阜スマ3 2018年  9月22日 ハートフルスクエアG
  • 岐阜スマ4 2018年10月28日 学校の文化祭
  • EVISUMA×岐阜スマ 2018年12月  9日 愛知県岩倉市 岩倉市民プラザ

 EVISUMA様との共同開催については、またこちらに詳細を譲る(行けてない)。

getreuer.hatenablog.com

「岐阜スマ2」は会場も借りて本格的にやってみるぞと乗り気に開催。ルール面など大会としては微妙なラインもあったものの、対戦会としては和気あいあいと対戦ができたと思う(大会と銘打って開催しているなら考え直さねばならない点ではあるが)。

 まだこの頃は運営の人間が岐阜に残っていたため、台はそれなりの確保ができた。モニターは運営各人が持ち寄ったり、参加者の方に持込枠として用意して頂く等して乗り越えた。それはともかく、後述する物品不足のかほりは既にあったかもしれない。

 二回目の開催、かつ文化祭から離れた企画ということでかなり自由な企画ができたが、運営側がまだ不慣れな点もあり、いまだにもたつくことは多かった印象。また、非スマ勢の友人も運営を手伝おうと手を貸してくれたのには非常に感謝。未だに有難く思っております。

 

 「岐阜スマ3」は「2」より大きめの会場で開催。ここから俺は医者の恰好をし始める。この時のオフレポが以下のようなもの。

ankakeassa.hatenablog.com

 おそらく、岐阜スマにちょっと変化を入れてみようと挑戦し始めたのはこの辺り。他の大会やゲーセンのユルい感じの空気を取り込もうとコミュニティノートを置いてみたり、会場のゲーム向きではないテレビで他ゲー台を置いたりした。コミュニティノートの中身は上記の主催者ブログに貼ってある。興味のある方はどうぞ。他ゲー台は割と好評であったと思う。

 特に配信・実況ができる環境を導入できたのは大きいと思った。実況のできる方を配信席に上げ、視聴者もそこそこいた記憶がある。Twitchを覗いてみたがアーカイブを残しておかなかったのは残念である。今後はYoutubeに移行する予定。

www.youtube.com

 この時には運営陣からもモニターを集めきれず、少なめの台数だったのが苦しいか。別の地域に引っ越した人間が多く、運営の人間もそう多くはなかった記憶がある。

 

 「岐阜スマ4」は「初代」と同じく学校の文化祭で。こちらは学校で2日間あることを活用した大会であった。学校には情報系研究室にモニタが転がっていることも幸いし、余るほどに対戦台は用意できたと思う。また、1日目と2日目を分け、大会と対戦会で「顔」を変えて開催した。

 1日目のガチガチの大会は前回と同じく配信を行い、学祭の割には綺麗に出来たと思う。参加手続きや会場への案内など参加者の方の助けになれる部分は運営みんなで知恵を出しつつ改良ができた。

 2日目は前日とは違いユルい対戦会として開いた。「変な会があるぞ」とちょっと覗きに来た親子連れを引き込んでみたり、学内のスマブラ好きが強者を求めてやってきたりと、普段とは別の層に「こういうゲームの会があるんですよ」と知らせる役割にはなったと思う。

 学校の文化祭で開催した時のいい点(運営視点)として、

  • 場所代が無料
  • 老若男女が見に来る
  • 運営側が部屋(建物)の勝手を知っている

 がある。毎回特色ある会が開けそうだと思う。


3.そろそろ真面目に岐阜スマ5をやろう

 いや、今までも真面目にやってきたんですけどもね

 

 俺としては5回目で、なおかつスマブラSPで区切りのついた回だからこそ新しく何かやってみようという思いがあった。それはどうやら主催も同じようで、開始1ヵ月前辺りから何かできる事を探してみた。

 しかし、何事も1ヵ月で事を成すには短すぎるし、岐阜スマそのものも目立つほどのものでもない。発想はぶっ飛んだものが出てくる度に他の運営面子に「落ち着いて」とたしなめられることが何度か。

 

 今回、実現させたのは「普段大会とか知らなさそうな層向けに広告を貼ってみよう」だ。

  ありがたいことにアニメイト岐阜様の店舗にこの広告の掲載の許可を頂いた。本当にありがとうございます。

 

 実際、どれほどの方がこの広告を見たのかは確認できていないが、募集フォームには「初めてのオフです」「初大会です」というコメントがあった。SPによる新規参入かもしれないが、岐阜スマ広報草の根運動として継続するのは悪くないと思う。

 

 また、助っ人として毎度来ていた運営陣の一人の提案で、会前後のブリーフィングの実施を行った。たまたま来てもらった岐阜スマ初参加の友人から、スマブラ界隈では当然であったような物事への疑問点が出るなど、非常に有意義であった。毎度行き当たりばったりな点は多少あったため、反省、改善、準備とつなげていくのは大切だろう。

 

 大会を通してみれば、機材不調による配信の中止を除けばかなり良いものにはなった。大会進行も順調であり、初のサブイベントも実施することができた。こちらもなかなか面白いものになったと思う。

 これは、本体、モニタ持込していただいた方のの協力、会場の方からの物資貸出と多くの方からの協力により成り立っていたところが大きい。皆様にはただただ感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。


4.これからどうしよう

 さて、これからの岐阜スマをどう広げていくかは難しいところである。

 

 俺としては

  1. 楽しくスマブラのできる会を続けたい
  2. 「もう一度岐阜スマでスマブラがしたい」と思ってもらいたい
  3. もっといろんな人に来てもらいたい
  4. 岐阜県のゲーム界隈の先駆けとなりたい

 という考えがある(他の運営陣にはちょろっと言った)。

 

 学祭の小さな出し物から始まった岐阜スマ。「いろんな人とこれだけスマブラでワイワイできるのは良い会だ」と思い続けて5回目となった。友人が意気込んで始めた会に巻き込まれここまで来てしまったが、せっかくやるならもっと楽しくしたいものである。それは自分の楽しみのためか、参加者の方の楽しみのためかはわからない。

 

 どちらにせよ、楽しいものはずっと続けたいし、広めていきたい。

 

 これは別の話だが、少し前にゲームに関心を寄せる多くの人がいるDiscordサーバーで、「岐阜県でゲーム大会をしている、してみたい方はいますか」と訪ねた事がある。結果、岐阜県内で自発的に行った会は存在しないようだ。おそらく、愛知で企画した方が人の集まりが良く、活発になるからだろう。

 それは良い。イベントは人がいるからこそ成り立つのだから。

 それでも、ゲームが好きな誰かの「岐阜でもゲームでこんなことができるのか、俺もちょっとやってみよう」というきっかけの一つになって貰えたらとても嬉しい(友人の始めたイベントでデカい顔をするな)

 

 とにかく、自分はこう思っている。


5.宣伝

 そんな岐阜スマですが、次回の開催は2019年4月30日となっております。

  募集はもう少し先になると思います。その際はぜひご応募ください。

 

 もう少し先にはまた変わった形の対戦会が行われそうです。続報を待たれよ。

 

 同時に、岐阜スマスタッフも募集しています。

 上記の事情により、運営の実働人数はかなり少ないのです。

西濃地域から名古屋圏内まで、広く募集しております。スタッフだからと大会に参加できないことはありません。少しでも興味のある方は岐阜スマまでご連絡ください。

 

 最後に、大きなお願いです。

 

camp-fire.jp

  こちらでクラウドファンディングを行っております。これからの発展のための機材費、会場費の為に岐阜スマとして支援を呼びかけています。

 主催から思いとしてのコメントがリンクにあります。こちらの一読もお願いしたく思います。

 

 

 

 最後に。

 暇なときにいろいろ配信してます。良かったら遊びに来てね

www.youtube.com

 

 

もう一つ追記

Twitterのアカウントが凍結しているため、自分では拡散する手段がありません。

どうかSNSでの共有をお願いします。

以上

新入社員がうつ病になって休職した話

 どうも、あんかけです。

 このブログの更新頻度が下がっているものの、まだ続ける気は存分にあるので気が向いたときに見てもらえれば嬉しいです。

 今回はこのブログを始めたちょうど一年前くらいから今までの自分語りをしようと思います。自分語りは嫌いではないので「すきなものをかきます」に反してないからセーフ。

 内容を大まかにまとめれば結末はタイトル通りになるのだけれど、何してたか自分でもよくわかってないので、記憶の整理も兼ねてここに書き残す。多分同期とかに見られたら2秒で特定される。平穏に生きていこうと思います。

 

 去年3月末

  • ブログをちまちま書いている頃
  • この時期に地元から脱出し、関東へ引っ越す
  • 同期が辛い

 

 とにかく地元は田舎で、将来性が無いなと思っていたこともあり、都市部で働こうという考えを持っていた。他にも給料とか白そうだとか少し興味のあった分野など、理由は絡まってよくわからなくなってしまったが、ともかく縁があって今の会社で働くことになった。

 この頃は友人とSplatoon2漬けで、将来よりもボールドマーカーの面白い使い方とかを考えていた。これから働いて潰れるような長い人生よりも一戦毎に何かおもしろ事件のあるスプラの方が有意義だった。

 いよいよ目の前の事を片付けようと考えたのは引っ越しの3日前ほど。準備を済ませ、自分の持ち物の少なさに驚いたものの、そんなことはどうでもいいと出る前までスプラに打ち込む日々であった。

 

 家から出た日はこんな感じ。

片道切符 - あんかけが書く

 

 内定式からわかっていたことだったが、同期には俺みたいなゲーム野郎がほとんどいない。ガラパゴス諸島のような特殊な環境で生きてきた俺には、一般人とどう会話をすれば良いのか一つもわからない。つまり、同期の友人もいないままに社員寮で生きることになってしまった。

 和気藹々とよくわからない話をする同期を尻目に、ゲームのためのインターネット環境をどうするか悩んでいた。本当にどうしようもないやつだった。

 

 4月

  • 研修&研修
  • やっぱり同期と仲良くなれない
  • 繋がりは少しできた
  • 金がすごい

 

 会社は入ってしばらく研修が続いた。学校でやったようなクソほども面白くない研修内容であったが、そのうち使うのだろうとそれなりに勉強し直した。

 研修は精神面を鍛えるようなものもあり、理不尽な話に半ギレで講師に突っかかったこともあった。

 このあたりの研修の話はここの後半でも書いてある。

最近のどうこう - あんかけが書く

 読んで「気持ちわかる〜〜〜」となったが自分の話だから当然であった。逆に言えばここの考え方は変わっていないのだろう。つくづく会社勤めに向いていない。

 研修は同期とグループで行ったのだが、あまり(全く)口を開かないような俺でもよくしてくれるようなイイ奴と同じになれたおかげでグループ内ならまだ喋る事ができた。気を遣ってくれたのは少し嬉しい。

 それでも、飲み会とかガンガンやるような「陽」のノリにはついていく気になれなくて、寄り道はゲーセン、寮に戻ればゲームの「陰」の者として生活していた。

 なんなら数人グループに「飲みに行かない?」と誘われたものの「今日は大事な用事がある」と断り、ゲーセンで脱衣麻雀筐体に100円を注ぐ日もあった。これは未だに忘れられないカスエピソードである。

 そんな俺でも、唯一話せた「俺と同じ香りのする人達」とは仲良くできたと思う。たまに会社の用事で会うと昼飯とか行く。助けといえば助けであった。

 

 ついでだが、社会人一年目でなおかつ社員寮にいると金がすごい。何も利益を産み出さないままの新人に支払われた4月終わりの給料は俺をニンマリとさせてくれた。

 

 思えば、この時から体調が悪かったかもしれない。

 

 5月〜6月

  • 研修にうんざり
  • 相変わらず人間関係はうんこ
  • ウメブラ等ゲームのイベントで目覚める

 

 この時期の自分語りがこれ。GWに帰省するついでに愚痴をぶちまけている。可哀想な奴だ。

ぐだぐだと - あんかけが書く

 

 やはり研修は続く。うまくいかないコミュニケーション、クソほども興味のない内容。そこそこ荒れていた。

 この頃は一人で飲み屋に行くのが楽しく、美味い焼き鳥屋や安い居酒屋で豪遊していた。ゲーム以外の楽しみであった。もちろん、酒の後はゲーセンだの友人とオンラインでゲームだのをしてゲームは絶やさなかった。

 

 ゲームし続けていると、ふとあるものが目に入った。ウメブラ開催のお知らせである。

 クソ田舎だった頃は配信をワクワクしながら見ていたあの大会に行けるとなり、テンションが上がった。その時のオフレポがこれ。

ウメブラ32に行きました(オフレポ) - あんかけが書く

 こんなに楽しいことがあったのか、と人生が変わった。それ以来、クロブラや秋葉原の対戦会等、行けるスマブラ大会はそこそこ行くようになっていた。

クロブラに行きました(オフレポ) - あんかけが書く

スマバト26に行きました(オフレポ) - あんかけが書く

 

 ゲームで話せる人に飢えていたこの頃は非常に楽しくゲームをしていた(今も楽しんでいる)。やはりすきなものを捨てることは無理なのである。

 それと同時に「ゲームイベントで食っていけないか」「やたらオフレポが読まれたしもしかしたらライターもいけるのか?」とナメた考えを持つようになる。よくよく考えたらただの思い上がりである。

 しかし、未だに「人生が悪くはならなかった自分なら」とゆるく考えるのは変わっていない。なんなんだこいつは。

 

 7〜8月

  • 仕事に悩み始める
  • 「ゲーム」もいろいろあると再実感
  • 親に呆れられる

 

 この頃の自分語りがこれ。

雑記 - あんかけが書く

 この時は「ライター募集フォームを見つけ、勢いで応募しようか悩んだが、募集期間が数年前だった」という話である。しょーもないと言えばしょーもない。

 

 研修もほぼ終わり、配属ガチャは☆2くらい(最初の印象)。さっさとやめてやりたいことやったほうが人生は絶対にいいものになると思い、馬鹿ながらも真剣に悩む。

 

 その過程で、まずは「ゲーム」を知ろうとEVOの配信に張り付いて土日はずっと見ていたり、ゲーム史の勉強を始めるなどした。今でもゲーム史の本は見つければ読む。レトロゲームがすきな俺としてもこれは面白く、アーケードゲームからコンシューマーゲームまで知識としては頭に入れた。経験としてのプレイは足りていなかったが、アーケードゲームは今でもひっそりと隠れたゲーセンにいろいろ置いてある。これを探して足しげく通った。単純にゲームをしているだけではあるのだが。

 

 その対比で、やはり仕事が面白くない。「意味のわからん事やってんな〜」とどこか客観的にものを見る節がある。そのうち自分がやるというのに、他人事のように眺めていた。働く前と考え方は変わっていないのである。

 徐々に仕事を覚える度に、「自分のやれることが増えてしまう」と悲観していた。ついでに、同じ配属の同期は俺と反対に位置する人間である(仕事すき、めっちゃ喋る、飲み会が趣味?)こともあり、ちょっとしんどかった。

 この同期は仕事する上では、なんだかんだ悪くないと思っている。正反対故に凹凸が噛み合っているのだろうか。

 

 このようなことで悩んでいる話を親にしたところ、「バカなこと言ってないで今はまだ働いとけ」と一蹴された。息子の狂言だと受け流されていたのだろう。

 

 9〜10月

  • 呼吸が苦しい
  • 転職サイトを回る
  • 通院が始まる
  • なんか辛い
  • 引っ越し

 

 これくらいの時期から呼吸が苦しい症状が差し支えのあるほどに悪化。肺の入り口にビー玉で栓をされた様な苦しさであった。会社に行く度にそれである。無理に頑張ろうとしていたのがやはり良くなかった。

 ある日、呼吸が止まり、全身が硬直したような感覚に襲われた。座っていたからまだ良かったのかもしれないが、本気で崩れかけた。その日は特に用事もなかったので、早退し、病院に行く。先生に話をすると精神的ストレスから来ているのかもしれないとの診断。薬を処方され、通院生活が始まった。

 

 上司にはこんな話はしにくい(来た新入社員にいきなりストレスでうんぬん言われると面倒になりそうと思った)ので、とりあえず「胃が悪いみたいです」と話した。

 

 もうしばらくして、こんな事件もあった。

さっきまであったこと - あんかけが書く

 我ながらかわいそう。確か先輩に「なんか涙が止まらないので明日休ませて下さい、上司には体調不良とか言っておいてもらえるとありがたいです」と伝えた。先輩がめちゃくちゃ心配してくれたのは覚えている。あと同期も。

 次の日は運動とゲーム成分を摂取すべくDDRスマブラに全力を注いだ。なんとか会社には行けた。

 

 いよいよまずいか、と思ったのでとりあえず転職サイトや求人雑誌を見ながらできそうな仕事を探した。

 

 また、通勤に100分くらいかかっていたことと、周りで引っ越しブームが来ていたこともあり、社員寮を脱出し、今に至る。通勤時間は驚くほど短くなったが、家事に時間を取られるせいでなんとも言えない結果である。あと、東京らしく風呂が狭い。

 

 こんな記事もあった。

岐阜スマ3に行きました(オフレポ) - あんかけが書く

 この頃には「岐阜スマを面白く」と思っていたのだと思う。実際はわからない。

 

 11月

  • 限界
  • 会社で泣く
  • うつ病の診断
  • 虚無

 

 11月から本格的にキた。週3くらいで泣きながら友人に電話をかけ、もうダメかもしれないと思った頃に会社から「お前精神鑑定テストの結果やばいから産業医と話して来い」と言われる。

 会社の産業医からちょっとしたカウンセリングを受けると、近所の精神科に紹介状を出された。

 

 精神科の先生はいい人だった。話した結果、「こいつうつ病なんで仕事はほどほどにしてあげてください(意訳)」という内容の手紙を会社に出され、さらに社内面談へ。

 この時にはもうなにもできない気がして、泣きながら休職を懇願した。

 

 結果、俺のわがままが通ってしまい、長い長い休みへ入っていくのだった。

 

 それからの数日は虚無である。とりあえず心を落ち着けるには本だろうと、本棚の本やAmazonで何冊か買い足した。思い返すと、こんなことを書いていた。

44.5つめのすきなもの『最近読んだ本』 - あんかけが書く

 食事は腹が減ればカップ麺、風呂も微妙な頻度。なんなんだろうか。ほとんどなにもしていないのかあまり記憶がない。

 

 余談だが、休職前に痴漢に遭う。

痴漢に遭った話 - あんかけが書く

 この一週間後、同じくらいの時間に電車へ乗ったらまた痴漢された。多分同じ奴。死にてえ。

 

 12月〜今年1月

  • スマブラSP発売
  • 長めの帰省
  • 親戚一同から「なんか大変そうやな」とさり気なく触れられる

 

 そんなこんなで無為に過ごすうちに、ついに12/7がやってくる。そう、スマブラSPの発売日である。この前日にはこんな記事を書いていた。

46つめのすきなもの『スマブラfor』 - あんかけが書く

 文章は楽しそうにしている。良いことである。実際、スマブラだけを楽しみに生きていた面があるため、桜井政博は命を救ったのである。

 

 さて、休みとは言っても家にいれば食費や電気代はかかるのである。なんだかんだで数万。これは少しばかり厳しい。現状の説明と節約を兼ねて実家に帰る。

 親からは質問責めであった。「働けるの」「会社はどうするの」。

 この先の話なんか知ったことではない。一瞬を考えるいきあたりばったりな生き方をしてきた自分には人生など考えていないに等しいのだ。それはこの文を書く今もあまり変わらない。明日苦しむための準備より目の前の楽しいことをする方が有意義である。明日の苦しみは数時間後の自分がなんとかしてくれるのだから。

 質問に対して、具体的な答えは何一つ提示しなかった。なんともならないものはなんともならないのだ。それはわからないとしか言いようがない。真面目に考える気は起きなかった。

 

 この時期は年末年始、何かと親戚が集まるシーズンである。親戚からも同じような事を聞かれたが、「わからん」「働きたくない」で通した。親には悪いが、「あんかけ一家のやばい息子」の認識になっていると思う。すまんな。

 

 2月〜今

  • 仕事やめるか真剣に悩む
  • 上司とサシで話す
  • 少しだけやることを考えてみる

 

 やめるか悩む度に「自分ノート」をつける。仕事を辞めたい話をTwitterに書くよりは具体的にどう辞めるかをノートにまとめておく方が有意義だと思ったからだ。

 ノートを書いているとやっぱりゲームがすきだという結論に至り、それで食っていけるか考えてみた。いろいろ自分なりに調べ物もした。考えもしなかった将来のことも考えた。

 

 それでもそれは今まで脳味噌で回っていた考えの再確認でしかない。ここから何かを変えるには人の意見が必要だと思った。

 ノートを友人に見せつつ話を聞く。別の考え方の視点や具体的な将来像まで出せるような話をした。親は「息子がゲーム好きすぎる」と諦めたのか「好きにしろ」とのことだった。

 大人からの意見は少なかったので、上司から話を聞くことにした。素面で言えば「ゲームのやりすぎで頭がおかしい人」と思われそうだったので、酒を飲みつつ話した。結果、「君の仕事を少し変える。自分のペースでやれるものにしよう。それからできることをやってみてもいいんじゃないか?」との返答だった。割と理解がある人でよかった。将来は見えないが、仕事の内容もそこそこ楽しそうなものになるとわかり、気が楽になった。

 

 で、今できることは何だろうか。

 

 ノートには「ゲームで食っていくのに自分の才能は足りなさすぎる」とある。経験として使えそうなものは「岐阜スマ運営組」であることくらいだ。ここから考えるなら、

  • 次の岐阜スマを良いものにする
  • 他の大会スタッフをさせてもらう
  • もっと他のゲームを知って交流範囲を広くする
  • ゲーム以外のイベントも目を向ける

が妥当だと思った。一応、最後の項目以外は実行しているつもりである(最後の項目は最近アドバイスをもらったため)。

 岐阜スマの話はまた後で書く。

 

 

 

 

 こんなところだろうか。思えば一年、早かった。この話を読んで、「ナメた野郎だ」と想われても仕方ないと思う。実際世の中舐め吉なのはわかっている。それでも、自分なりに生きようと思ったので、許してほしい。許せない所は教えてほしい。許せるように改善してみせる。

 

 平成は終わり、次の年号に移る。これからの話は、まだなにもわからない。来年も同じような記事を書いて、自分が少し成長しているな、と思えるようになりたい。

 

 またよろしくお願いします。

ゲームについて思うこと 番外編 (MOTHER2、3のポーキーについて)

 先週、MOTHER3を三連休のぶっ通しでクリアした(2は以前にnew3DSのVCでクリア済み)。以下はMOTHER2、3のネタバレが多く含まれるため、これからプレイしようと考えている人にはあまりおすすめできない。


ちょっとMOTHER3の世界に行ってくる

 

 明るい印象であったMOTHER2とはまた違う、少し異様な雰囲気ではあったが、それでも「MOTHERらしさ」のあるゲームであった。評判としては賛否両論あるようだが、ぼくは良いゲームだと思う。クリアし終えてからなんとなく、家族にメールでもしたくなる。そんなゲームであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、本題はMOTHER2、3に登場する『ゲーム史に残るクソガキ』といっても過言ではないポーキーについてである。

 今のうちに少し彼について紹介する。生まれ育ちは田舎町のはずれ、MOTHER2の主人公ネスとは幼馴染である。家族には両親と弟がいる。弟は至極まともだが、両親は子供を置いて外食に行ったり、事情があるにせよネスの父親との金銭のやりとりについてネスへ告げ口するなど人として、親としてどこかおかしい人たちである。ネスに対しては友人と思っており、MOTHER2序盤に「4人の少年少女が世界を救う」と告げられた際には「オレもその中の一員かなぁ」などと考えたりする。

 

 結局ポーキーは世界を救うメンバーではなかった。むしろ逆の立場となり、行く先々で新興宗教の幹部や金持ちなどの権力者に取り付き、ネスたちの邪魔をするのだ。彼は常に悪の道を進み続け、ついにはMOTHER2のラスボス、ギーグの側近になってしまう。ギーグが倒されたのち、彼は別の時空間へ逃れる。一通の手紙を残して。

 

 ここまでがMOTHER2のポーキーである。ネスの旅とは正反対の道を行ってしまうのだ。

 

 MOTHER3ではラスボスとしてポーキーが現れる。3でのポーキーは生身による時空間移動を繰り返した結果、老化は進むが不死状態となっており、よぼよぼの状態でベッドのまま登場することから、恐らく普段はベッドで寝たきりとなっている。ポーキーがこの世界で働く悪事は主人公リュカたちの住む島の生態系を破壊(動物をつぎはぎしてキマイラ化)し、世界を守る「針」を抜くことで世界の滅亡を狙う。この行為に目的はなく、不死である自分の退屈しのぎのお遊びである。

 

 このときのポーキーの精神は様々な場面で垣間見ることができる。例えば、敵軍設備のイカヅチタワーの一室ではたくさんの子供のおもちゃ、本拠地のニューポークシティのエンパイアポーキービルでは主人公たちへいたずら代わりにビルを彷徨わせ、ポーキー型のロボットとゲームをさせられる。これらからは子供として遊びたい考えがわかる。老化はしているが、精神は何も変わっていおらず、むしろ退化しているのだ。

 また、誰と遊びたいか、なんてものは決まっている。「ともだちのヨーヨー」を護衛をつけて大切に守り、映画館ではネス達の物語をいつまでも流し、自身の部屋の近くにネスの冒険ゆかりのものを並べているのだ。それほどにネスを友人だと考えていたのだろう。

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流れ続けるネスの冒険譚

 

 しかし、現実は違った。どの時空間でものけ者扱いされ、果てには元の世界に帰ることはできなくなってしまった。ある戦闘では、ポーキー型ロボットが雑魚敵召喚として「よべばくるやつ」を連れてくる。「よべばくるやつ」、すなわち「呼ばなければ誰も来てくれない」のだろう。しかも、それらは人間ではない。軍の人間すら来ないのだ。その対称として、この戦闘の直後には冒険で出会ったリュカの仲間が駆けつける。本当の仲間は呼ばなくても来るということだ。

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「よべばくるやつ」

 

 結論、ポーキーは誰かから愛されたかったのだ。設備の中には、人や動物が「ポーキーを好きになる」という効果の液体で洗脳されている場所もある。レストランにはポーキーの母親そっくりなアンドロイドが「いくらでも好きなものを食べなさい」とパフェやハンバーガーを売っている。このレストランにも親からの愛を求めるポーキーの理想の母親像がここに溢れている。

 

 こう書いてみると、ポーキーは非常に可哀そうな奴である。誰とも素直に仲良くなれなかった結果、一人で寂しく生きることになってしまうのだ。しかも必ず開けられない「ぜったいあんぜんカプセル」の中で。ポーキーにとってこれ以上の苦痛はないだろう(EDでうれしそうに転がっているが何を思っているのかはわからない)。この先、永遠に誰ともを持てないのだから。皮肉なことに、ほかの人間にとってはこれが幸せなのだ。

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ロボットからの代弁

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素直に話したかった…?

 

 ポーキーはMOTHER2で一度、ネスに謝る。しかし、ネスは無言で見つめたきり、何も返さなかった。もしここでネスが頷いていれば、ポーキーの人生は良い方へ向かったかもしれない。

 物語に「もしも」は無いが、少し考えてしまう。